2019.03.13
コラム|『ジョン・デンバーへの手紙』
屋久島高校演劇部全国大会までの道のり(鹿児島)
鹿児島県の屋久島高校で演劇部の顧問をしている。高校演劇劇作研究会に所属し,戯曲の作り方を学び,いくつかの作品を書いた。昨年の九州大会で,拙作『ジョン・デンバーへの手紙』が,最優秀賞と創作脚本賞を受賞し,7月27日から29日まで佐賀県鳥栖市で行われる全国大会に出場することとなった。今回,九州地域演劇協議会様からコラムのご依頼を受け,一顧問に過ぎない私などが、寄稿してもよいのかと恐縮している。
屋久島に赴任して,4年目を迎える。屋久島に魅せられ,移住を決める人々は多い。豊穣な水と緑に抱かれ,人々の有りようは鷹揚である。生徒もまた,それぞれが自己の世界を持ち,他人におもねらない。演劇部員も然りである。
赴任した当時、演劇部は1名。廃部の危機に瀕していた。部員集めに奔走し,声出しから始めた。稽古場となっている,高校を見下ろす丘の上の旧学生寮からは,毎日部員たちのアメンボ赤いなが響いた。演技など初めての生徒たちである。当然,他校の演技なども観たことがない生徒たちである。夏の講習会などにも積極的に参加し,技術を磨いた。彼らの姿が好もしかった。だって舞台に上げても,何だか度胸があるのである。落ち着き払っていて,魅力があるのである。小さな世界に育つ故の視野の狭さから来る,世間知らずの強さだろうか。不思議だったが,今は違うと感じている。大自然の中で,小手先ではない粉飾いらずの風格を,彼らは授けられているのに違いない。あたかも見本となる大人がいつも傍らにいるように,生徒たちの目の前に自然が対峙し,感性を,生き方を,振る舞いを,物腰を,力のいれ具合を,果ては朽ち果て方に至るまで,教示しているのであろうと感じる。
作品『ジョン・デンバーへの手紙』は,実話を基にしている。本年度,屋久島の過去の歴史を,また少し掘り下げたいと思っていた折,偶然にも,島全体が林業に沸き返る昭和53年に,『屋久島からの報告』という映画を作り,国の原生林伐採に反対された,当時屋久島高校の教諭であられた大山勇作さんのことを知った。
直接大山さんにお会いし,映画の中で使用する楽曲についての興味深いエピソードを伺った。「カントリー・ロード」の作曲家としても名高いアメリカのカントリー歌手ジョン・デンバー氏に直接手紙を書いて,無料での楽曲使用の許可を取りつけたというのである。そのころ無名であった鹿児島県の小さな島と,外国の大物歌手との取り合わせが何ともミスマッチであった。大山さんのお人柄に触れ,お話を伺いながら,不器用ではあるが故郷をこよなく愛す,一人の青年教師の姿が浮かんできた。島に留まり,懸命に故郷の自然を国の伐採事業から守ろうとする人々の物語が出来上がった。
タイトルは『ジョン・デンバーへの手紙』。・・・これしかなかった。
昨年12月,福岡県で,九州高等学校演劇研究大会は開催された。
本校の上演は1日目の最後であった。物語の後半,足の悪い老婆が,映画の前売り券の購入をなけなしの財布をはたいて承諾するシーンがある。あんな足では上映会も行けはしない,他人の力を借りないと丸腰のこぶしを振り上げることもできないと,主人公が忍び泣くシーンである。このエピソードは実話に基づいていたが,なかなか思いどおりに行かなかった。直前まで練習を重ねた。
私は,出そうになる涙をこらえ、嗚咽がもれないように奥歯をぐっと噛むしかなくなるような作品が好きだ。惨めなもの,滑稽なもの,醜悪なものの中に,ふと垣間見える美しさや希望。ゴミ袋に雪が降り積もっているような世界。大団円より,含みのある幕切れに惹かれる。
講師の先生のお一人に,日本を代表する劇作家で演出家の,平田オリザ先生がおられた。オリザ先生から,題材と伝え方のバランスがよい,社会的な問題で説教くさくなりがちだが,人間的要素がたくさん入っていた。生徒たちの演技がとても素直で好感が持てたとの講評をいただいた。雲の上のような存在から,自校の作品の講評をしていただけたことが,ただただ光栄であった。
結果発表で屋久島高校の名が呼ばれたとき,生徒たちは一瞬悲鳴を上げたが,すぐに姿勢を戻した。喜びを表すことを他校に遠慮したのだ。
私は涙がボタボタ流れた。私自身も気付かなかったが,名を呼ばれたとき,初めて分かった。私は,全国大会に行きたかったのだ。涙が止まらぬくらい,こんなにも,行きたかったのだ。全国までの道のりは遠すぎた。これまでやってきて良かった。諦めずにやってきて本当に良かった。島に帰ると,たくさんの方々が祝福してくれた。町長への表敬訪問まで待っていた。
今年の夏。全国大会の舞台に立てる。屋久島の生徒達が導いてくれた。夢が叶う。夢かと思う。
屋久島高校演劇部顧問
上田 美和