2021.10.05
こんにちは、福岡・九州地域を拠点にフリーの俳優として・・・と長年自己紹介をしておりましたが、3年半ほど前、結婚と出産を機に長崎に移り住み、まだ主な活動拠点は福岡のままですが、暮らしと地続きの表現活動を長崎で少しずつ広げたいと思っている酒瀬川真世と申します。そういうわけで長崎の演劇事情を綴れるほど活動ができていないのですが、それでもと執筆依頼をいただいたので、がんばって書いてみようと思います。
とは言え、つい先日まで福岡での現場(沈黙劇『水の駅』 太田省吾 作/金世一 演出)のため、自主的な家族隔離で夫と長男は長崎で夏休みを過ごし、0歳児の次男を福岡の実家で子守をお願いしながら1か月半滞在制作していたもので、今は長崎に戻ってゆっくり家族との時間を過ごしている私に【長崎の今の演劇事情】が書けるはずもなく、何をお伝えすればよいかしら・・・考えてみました。
まずは、昨年コロナウィルスの影響で中止や延期になった演劇事業、長崎市民演劇祭、長崎ブリックホール開館20周年記念の市民参加舞台、夏休み恒例のえんげキッズ、毎年秋に開催されていたnagasakiまちなか文化祭のことなどを綴ってみたのですが、自分が関わっていたわけではないので文章の距離感が非常に難しく、削除。それならば、と次に自分が関わった長崎の演劇関連のものをひとつひとつご紹介してみたけれど、違う、そういうことが書きたいわけじゃない、と、これまた削除。
私が書くコラム。自分にとっての演劇って何。長崎で演劇を通してやっていきたいことって何。改めて考えたとき、やっぱり「人」と「出会い」なんですよね。リモートの波にのまれそうになる昨今ですが、どうしたって「人と人が直接会ってそこにうまれる何か」にとても興味があるし、それが演劇の魅力だと思っているので。
たった3年半ではあるけれど長崎で暮らして演劇を通じて出会った素敵な人たちのご紹介を致します。THE演劇人な方々は今回は割愛。
まず、長崎に越して3か月で衝撃の出会いを果たしたのがオランダ人のコンテンポラリーダンサー兼振付家であり舞台人でもあるアルマンド・ファン・デン・ハーメルさん。彼が講師をつとめるワークショップで出会い、翌年には彼が演出した「天下」(F’s company PRESENTS まちなか演劇マルシェ#2「かはたれどき」における上演)に出演。昨年秋にはRAWWORKS特別公演「あわい」でパートナーの吉原未央子さんとともに共演。彼らが毎月行っている出島シアターでの音楽とダンスの即興ライブは毎回かなり刺激的。
「天下」@アトリエpentA (まちなか演劇マルシェ#2「かはたれどき」)
RAWWORKS特別「あわい」@NBCビデオホール (2020/11月) アルマンドさん吉原さん
ふたりめは、チンドン全国大会で何度も最優秀・優秀賞を受賞し長崎で知らない人はいないだろう、かわち家さん。人と地域と企業を笑顔でつなぐチンドンかわち家さんの魅力にすっかり引き込まれ、憧れを抱きました。地域で演劇をやるなら、ここを目指さないとね、と思わせてくれる情熱とひとへの愛がいっぱいの方。
3人目は、キモノホッペンの市原ゆかりさん。レンタル着物のお店とゲストハウスを営み、長崎の和文化を支えるパワフルな女性。衣装の着物のお見立て&着付けをお願いした際、同じ作品なのに会場ごとに違う着物のご提案がありその理由を聞いたら、劇場のサイズ感・客席との距離感から見た着物としてのリアルと舞台衣装としての華やかさのバランスを考えて、ですって。作品の完成度をぐんと上げてくださった。
RAWWORKS落語を二人芝居「たちぎれ線香」@諫早独楽劇場 (2019/12月) 市原ゆかりさんお見立ての着物
同作品 @プラザ大村(2020/10月)
最後は、和太鼓チーム西方小天鼓のリーダー戎谷和夫さんと高木睦美さん。先出の舞台「あわい」で共演したおふたり。その前からお客として一ファンだったけれど、知り合ってさらにその人柄とエンターテインメントへの溢れる情熱にパワーをもらいました。…本当はもっとご紹介したいけれど文字数が足りません。
RAWWORKS特別「あわい」@NBCビデオホール (2020/11月) 西方小天鼓
この人たちと長崎でもっと面白いことをたくさんしたいです。一緒に作品を創作しなくても、長崎で芸事や文化に携わるこんな素敵な人がいるってだけで、長崎での活動に夢が膨らみます。40代に突入し幼子をふたりも抱え、それでもまだ「夢」を見たいのです、この長崎で。子育てしながら演劇に関われたり、親子で楽しめる企画を考えたり、こどもが演劇に触れる最初に立ち合いたいし、若い人たちが演劇を続けられるお手伝いもしたい。欲張りですね。
そのためにも、もっと長崎の人に出会いたい。町を歩こう。お店をのぞいてみよう。あぁワクワクがとまりません。
だから、どうか、少しでも早く、「人と人が会うこと」が、「大声で抱き合って喜びあえること」が、憚られることのない日常が訪れますように。
「天下」@アトリエpentA (まちなか演劇マルシェ#2「かはたれどき」) 演出アルマンドさんと
酒瀬川 真世(che carino! / che carina! )
2020.05.08
長崎県を活動の拠点にしています「エヌケースリードリームプロ」代表の渡邉享介と申します。「長崎の演劇人の活動の場を増やすことが、長崎の芸術文化振興に貢献する」という指針で、様々な演劇事業を行っています。
「諫早物語~伊佐早戦国プライド男祭~」演劇で伝える諫早の歴史(諫早市ビタミンプロジェクト)
「仕事=社会貢献」と考えるとき「芸術(演劇)」は、とても重要な仕事として成立するはずですが、地方では難しく感じます。全国的に有名な演劇人がいて、そして、地方の演劇人もいて、それぞれが仕事として成立して当然だと思うのですが、そうなってはいません。
この矛盾は何なのか?
それは、供給する「価値」がわかりにくいからだと思います。
●演劇の価値とは?
「食べ物を買うと腹が満たされる」「病院に行けば病気が治る」などといった〈わかりやすい価値〉が、芸術(演劇)においてははありません。明確に「何が満たされるのか?」が、わかりにくいので「演劇鑑賞しなければ…」とは、ならないのだと思います。国は、芸術について【人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に、社会全体を活性化する上で大きな力となるもの】と、重要性を唱っています。とても大切なことですが、身近な価値としては捉えにくいです。実際、地方劇団の公演で「チケットが飛ぶように売れる」なんてことはほぼありません。どちらかと言うと「どうか、観に来てほしい…」と、知人に毎度お願いをしています。
これでは、国が言う「芸術に、極めて重要な役割がある」を、果たすことは出来ませんし「文化芸術の裾野の拡大」も、実現しないでしょう。
では、どうすればいいのか?
具体的な価値(付加価値)を自らが示し、地域住民に必要だと認めてもらうための行動が必要だと思います。
●価値の具体的な示し方
地方で演劇事業を成り立たせるための考え方の1つに「地域に寄り添う」という方法があります。例えば、私たちは「街づくり演劇」で、価値を示してきました。自分たちの街の歴史や、社会問題を啓発する演劇はとても共感を得られます。「街が発信したい情報を演劇で伝達する」ことは〈わかりやすい価値〉(付加価値)となり、必要とされます。
私たちは、それを、市民参加型の演劇として上演しています。それは、本来の価値「芸術の役割」を、より効果的に果たすことができる、演劇事業となるからです。私たちは、このスタイルで、行政との協働事業や、委託事業など、演劇を仕事として行う団体となりました(任意団体としては、あまり例がないと思います)。この他にも、考え方次第では、付加価値はいくらでも生み出すことができるはずです。演劇最強です。
●地方でのアートマネジメントの難しさ
地域に寄り添った演劇には、難しい問題もあります。
それは、マネジメントです。なぜなら、前例がないので、予算を提示するときに、地方の名前も知られていない作家や演出家、役者など、ギャランティーの積算根拠、それに「制作スタッフとは?」「舞台監督とは?それは必要なのか?」などの問いに、丁寧に返答し、納得させないといけません(特に相手が行政の場合)。地方で演劇を仕事にするとき、何が一番大変かというと、これかもしれません。関わる演劇人への報酬ですから、権利の問題なども含め、妥協は許されません。
ただ、これは最初だけで、前例ができると、その後はとてもスムーズです。
●まとめ
大変ではありますが、具体的な価値を誰かが示さないと、いつまでも演劇人の努力は報われないと思うのです。時に、その価値の示し方が「それは演劇ではない…」とか「作品のクオリティが下がる…」と、お叱りを受けることもありますが、どうかそこはご理解いただきたいと存じます。そうすることが「演劇の価値」を、より身近な物として示すこととなり、尚且つ、裾野を広げることになると思っていますし、いつしか演劇が、地方においても当前の仕事としての選択肢となることに繋がると信じています。
誤解してほしくないのは、演劇のこれまでのスタイルが間違っていると言っているのではありません。長崎の演劇人が、それぞれ頑張っているからこそ、私たち事業は成立するのです。演劇人の活動の場をつくることで、御返し出来たらと思っています。
「Meet The うないさん ~水のいのち~」汚水処理施設普及の為の啓発協働事業(長崎県との協働事業)
最後に…
新型コロナウィルスで、公演の中止や延期と大変だと思います。
一日も早くこの事態が終息し、平穏な演劇活動を取り戻せるよう心から願っております。
2018.03.06
初めて掲載させて頂きます。
私は、長崎市演劇協会会長で、劇団アクターズ主宰の川下 祐司と申します。
平成30年3月17日(土)から25日(日)まで、
長崎市チトセピアホールで、第66回長崎市民演劇祭が開催されます。
1952年、第1回目が開催されてから66年。
1度も中止することなく続けて来ました。
長崎に原子爆弾が投下されて7年しか経ってない混乱の時代に、この演劇祭を始めた先人たちに只々脱帽です。
第1回目から、今までの全記録も残されており、66年間、只単純に娯楽としての演劇を一貫していたのも、長く続けられている要因だと思います。
しかしながら、近年、演劇祭運営に関し段々低迷しており、観に来る客もさることながら、参加できる劇団も減少しています。
現在、長崎市内に在籍している劇団は、私が把握しているだけで、9団体。
大学のサークルや少人数でユニットを組んでいる劇団を入れれば、もう少しあるかもしれません。
只、活動している劇団、休止している劇団さまざまで、全体像は掴めていません。
長崎市演劇協会自体も、昔ほど勢力は無く、以前は長崎で活動している劇団は全て加入していたみたいですが、今は殆どの劇団が加入していません。
長崎市演劇協会で実働しているのは3人しかいなく、その3人もかなり年齢は上です。
課題は、どこの地域も同じだとは思いますが、若い演劇人がいなくて、どの劇団も若手育成にかなり苦労していることです。
いろいろ努力もしています。
以前は、会場の関係もあって、1日に5団体や6団体が上演していたのですが、近年は1日1団体に変更して、劇団にとってもお客さんにとっても、時間の余裕をとれるようなシステムにしたり、格安通しチケットを販売したりと、試行錯誤しております。
また、長崎市民演劇祭なので、長崎市の劇団が主になって行っているのですが、最近は、1団体だけですが、市外枠を設けて、長崎市以外の劇団にも参加して頂き、演劇祭を盛り上げてもらっています。
このように、いろいろやってはいるのですが、集客数は昔に比べるとかなり落ち込んでいます。
劇団によって集客数や客層は異なりますが、1公演あたり、150人をめどに想定しています。しかし、なかなか難しいのが現状です。
出演者のチケット販売に対する考え方も随分変わって来ています。
昔は、1,500円のチケットを売る為に、3,000円の飲み代を使っていたものですが、今はチケット1枚も売らない人もいる状態です。
今の時代、「チケット売れ!」と強制できないのが、もどかしいです。
今回の演劇祭は、市内劇団6団体7演目の公演で、市外枠は大分県から「金平糖企画」さんに参加して頂くことになりました。
もしこのコラムを見て、「参加してもいいよ」と思われる劇団がいましたら、長崎市演劇協会まで、ご連絡下さい。
因みに、来年の開催日程は決まっております。
詳しくは長崎市演劇協会のホームページをご覧下さい。
生活の殆どがデジタル化されている現代社会において、アナログの演劇がどこまで生き残れるか分かりませんが、100回目を目指して頑張ります。
私は生きていないと思いますが、少しずつでも演劇人口が増え続けていければと思っています。
現在57歳。願わくば、100回目を観てから、息を引き取りたいです。
長崎市演劇協会会長
長崎市民演劇祭実行委員長
川下 祐司
2016.03.27
長崎ドラマリーディングの会(NDR)たじまです。長崎生まれ演劇育ち、テーブルゲーム好きな人は大体友達です。最近のお気に入りはアルルの丘です。
私の生活圏内(浜の町からクルマで片道30?40分程度)で小劇場サイズの演劇公演が行われている場所について、私の知る範囲でお伝えします。公共ホールは除きます。
まずは長崎市内の宝町ポケットシアター。管理運営しているF’s Companyの作品はもちろん、県内外のさまざまな団体の公演が行われています。
(宝町ポケットシアター)
そこから徒歩圏内にあるギャラリーヘキサでも年に数回演劇公演が行われています。私はここでrawworksと塚プロの作品を堪能いたしました。
NDRは中央橋すぐ近くのbody2soulを使わせていただいております。ここは演劇のための場所ではなくライブハウスで、通常はジャズやロック系が中心です。そこから徒歩で行ける距離にあるワインバー田舎では、謎のモダン館プロデュースによる一人芝居オムニバス公演も行われました。
諫早では、独楽劇場。田上インターからほど近い私の家から、高速道路使えば30分くらいです。管理運営をしているエヌケースリードリームプロの作品はもちろん、劇団ヒロシ軍の公演も精力的に行われています。また、県内外の団体の公演も行われております。
(諫早 独楽劇場)
他にも知られざる「小劇場サイズの演劇が行われている場所」はあるのかもしれませんが、私の知るところでは概ね以上となります。参考になれば幸いです。
佐世保や島原などにも、きっと素敵な可能性を秘めた場所があるんだろうなと勝手にワクワクしております。ご存知の方はご一報を!
(長崎ドラマリーディングの会・たじま裕一)
2015.05.08
オイッヒュ!
長崎県を拠点に活動をしている劇団ヒロシ軍・座長の荒木宏志(27)です。
今の長崎の演劇事情を簡潔にドカンと箇条書きでお伝えしますね。
○長崎は10代後半~20代の役者が圧倒的に少ない(特に男!!!)
○長崎の若手劇団が無い(ヒロシ軍より下の劇団が出てこない)
○長崎は『高校生の頃は演劇部だったんですよ』と言う役者やめてる人が多い(何故、今、やらない?)
○長崎で本気で役者を目指してる人は福岡や大阪、東京とか都会へ行きがち(まぁ、気持ちわかるよ)
まぁ、てな訳で、どこの地方の演劇事情もこんな感じじゃないんですかね。
何でか知らないけども、本当に若い役者が少ないんですよね。特に男の子!
女の子は比較的、多いんですよ。だけど、男が少ない。いや、マジで。いや、何で?
この謎について、考えてみたけれど、答えなんて出てきやしない。良かったら、みんな教えてください。
あと長崎の若手劇団がいつまで経っても出てこない!!!
それは何故か?
やる気のある役者は長崎を出て、都会へ行きがちだからだ!!!
いや、別に良いんだよ。都会へ行って、もっと演劇を勉強したいとか、あの劇団に入りたいとかって目標があって、行く分には全然かまわんぜ。
だけどね「長崎では無理だから」って決めつけて、都会へ行く考え方なら改めてくれ!そんなことないんだから!
何も考えず都会へ行って、一人暮らしを始めて、演劇やりたいけど生活するためにバイト漬けの日々を送る人がほとんどじゃねぇか?
んで燃え尽きて、長崎へ帰ってきて
「あ、帰ってきたんだね!演劇やろうよ」と言っても
「いやぁ~もう、演劇はいいかなぁ・・・」ってなる人をけっこう見てきたんだ、俺。
長崎に残れば、都会行くより確実に多く舞台に立てると想うよ。
(長崎県諫早市にある独楽劇場)
だってね、実家暮らしと一人暮らしの差って、かなり大きいと想うんだ。
いきなり、一人暮らしを始めれば、生活に慣れるまで時間がかかるでしょ?
もしかしたら、生活していくのにいっぱいいっぱいで演劇活動どころじゃないかもしれんぜ。
それよりか実家暮らしのほうが(ちゃんと親にお金を渡し、ありがとうと言う)生活面で心配することはないんじゃなかろうか?
どっぷりと演劇活動に専念出来るんじゃなかろうか?
そんな俺は一人暮らしでも実家暮らしでもなく車中泊でございます。家に帰らないからね。
それに今ではSNSがあるから、Twitter、Facebook、ブログを始めて
公演やります!って告知するなり、演劇について熱く語ったり
県外の劇団とのやりとりもTwitterとか使えば、挨拶だって出来るし
自ずと県外の劇団たちにも、情報交換出来ると想うんだよね。
そうすれば、県外でやってる演劇の大会とかの情報を知れたり、他の劇団の公演の情報を知れたりするじゃん?
そんな感じで劇団ヒロシ軍も長崎を拠点にして、佐賀、福岡、熊本と行かせていただきました。
(※うちの県にも来てくれーって方、良かったら声かけてよ!フットワーク軽いから行くよ!)
(北九州で行われた演劇大会「劇トツ×20分」 舞台裏にて)
てなわけで、結論!
地元に残って、演劇活動すればフットワーク軽いよ、いや、マジで!
それに今、長崎で活動している劇団の数は本当に少ないよ?
(※ひとつひとつの劇団は本当に素晴らしい劇団です。ヒロシ軍より先輩劇団だから、おべっかを使ってる訳ではありません)
だからさ、今、あなたが本気で演劇をやりてぇんなら、場所なんて関係ないんだよ。
どこでだってやれんだよ。
今、長崎で劇団立ち上げたんなら、競争率低いから長崎一位になれるかもよ?
まぁ、荒い文章にはなってしまいましたが
とりあえず、つべこべ言わずに演劇やろうぜ。
劇団ヒロシ軍・荒木宏志
2013.07.01
昭和が終わる2年前に演劇と出会いました。高校1年の秋の出来事です。ケガしてテニス部にも行かずブラブラしていた僕に、演劇部の副顧問の先生が高校演劇祭のチケットをくれたのがきっかけでした。土日2日間、長崎市公会堂で10数本。演劇に対して全く免疫も無く、ただただ目の前で起こる出来事にのめり込んでいったのです。
その頃、長崎で公演していたプロの劇団といえば劇団四季や東京キッドブラザース。花の都では小劇場ブームが巻き起こり、雑誌や戯曲で見る夢の遊眠社や第三舞台に胸を躍らせていました。長崎市内だけでも相当な劇団数があったと記憶しています。
あれから25年の歳月が流れ、随分長崎の町も変化しました。たくさんの複合施設が建設され、娯楽も大味なものから個々人が楽しめるようなものに変わって行きました。坂の町という住民にとってはひどく大変な地形も、『世界3大夜景』の一つに選ばれた途端、ちょっと誇らしく思えたり・・・。
劇団数もひと頃に比べてかなり減りました。理由はさまざまですが、その一つに稽古場として安価で利用できていた施設の撤退が挙げられます。演劇に限らずいろんなサークル活動の拠点となっていた場所だっただけに、自前の稽古場を持っていない団体は活動を制限せざるを得なくなり、ある期間だけプロジェクトチームを作って上演するユニットや行政主催の舞台への出演に表現の場が変わってきたように感じます。
ただ、広く市民の方々に『演劇』を知って頂く為には、団体による継続的な活動が重要な意味を持つものとも思います。一度減ったものを増やすというのはたやすい事ではありません。そこには必ず人間の輪が必要ですし、立ち上がった団体をサポートしていく体制づくりも必要です。昨年、発足致しました長崎県演劇人協議会(NECO)は、これから活動を考えている団体や個人に対し、応援できるものはしていきたいと考えています。活動実績としましては、ワークショップの開催以外まだまだ大きな動きはありませんが、今年「演劇人サミット」のホスト県という事もあり7月の総会を機に、活発化するものと思います。
子供たちが演劇に興味を持ち、いつか舞台に立つのを夢見る事ができるような環境づくりは、今まさに活動している僕らの責任でもあるのでしょう。地味な作業ですが、少しずつ浸透させていく事から始めよう。そう決意した梅雨の長崎より、白濱でした。
文:白濱隆次(長崎県演劇人協議会 副会長)
2012.09.22
長崎県演劇人協議会(NECO)から本会への入会申請について、2012年9月8日理事会にて全会一致で承認されました。
同協議会は今年発足の団体で、2012年9月現在で、13の団体と個人が参加しています。今回の長崎県からの参加で、九州七県全てからの協議会への参加が実現しました。
長崎県演劇人協議会、ならびに九州地域演劇協議会を、今後ともどうぞよろしくお願い致します。
2012.06.26
ここ20年ぐらいの長崎演劇界をひとことで言えば「激変」じゃないかと思います。僕が演劇を始めたのは21年前。ピチピチの高校演劇少年でした。その頃は社会人劇団がいくつもあって20~30代の演劇人を中心にバリバリ公演が行われ、大学の演劇部も全盛期で、今では考えられないくらいの観客動員数を誇っていました。「演劇バブル」ってヤツです。だけど、戯曲は既成の物しか使わず、社会人劇団でも学生演劇部でも、劇作家と演出家がいて作品を作るというスタイルは長崎の中では稀なものでした。
ターニングポイントは『新しい劇場』の出現。長崎市には1998年に長崎ブリックホールが、佐世保市には2001年にアルカスSASEBOが建設され、演劇人と劇場とが共同作業を始め、県外の演劇人と出会うことで人も育ったし意識も改革された。自らが戯曲を創作し作品を作るという劇団が増え、それに続く学生劇団も出てきた。それと共に演劇に関わる人も増え、関わり方にも幅が出てくる。戯曲を書く人、劇団には所属できないけど劇場の企画で舞台に立つ人、音楽やダンスの表現をしながら役者をする人。多様な演劇人は、ときに表現者となり、ときに観客となる。そしてそれら多様な演劇人と繋がる人達が観客となり、またその繋がりへと広がりを見せる。劇場と劇団が連携をした活動が演劇に関わる人達を増やし続けてきたのです。
県外公演をする劇団が増えたというのも大きな変化です。長崎の劇団が、九州の各地へ、東京へ、大阪へと公演に出かける。地元以外の地域で公演することでスキルアップし、そこで得た物を地元に還元する。また同時に県外の観客が長崎の公演に足を運ぶようになる。まるで鎖国の時代から開国へと進んだ歴史のように、開かれた演劇状況が長崎に生まれてきました。
そうした状況の中、この度『長崎県演劇人協議会(NECO)』が発足致しました。この流れを加速させ、強度を上げるため、そして次の世代の長崎演劇人のための結束です。九州演劇人サミットや他県の演劇人との出会いで受けた刺激や化学変化を、長崎の中で作り出すことが出来れば「長崎の演劇シーン」と呼ばれるようなものが出来ると思うのです。良い作品を作るライバルであり、共に演劇に携わる仲間である僕らが手を取る始まりの一歩。組織を作って終わりでは意味がないので、ココから何を生み出していくのか?何を築き上げていくのか?それが大切になってくると思います。
目指すはまだ見ぬ新大陸。目の前に広がる可能性の海に期待と不安を抱えながらの航海となりますが、どうか温かく見守っていただけたらと思います。
文:福田修志(長崎県演劇人協議会 事務局長)