Home > 1.各地域からのコラム

2022.06.28

コラム|「この先の可能性」(佐賀)

私自身が「演劇」と初めて出会ったのは、地元佐賀での高校演劇という場でした。
あれから30年以上経った今も、この世界で生きています。

私は現在、佐賀を拠点に活動する「劇団とんとこパピィ/とんとこ一座」の最古役者メンバー兼事務局メンバー兼運営メンバーである岩崎香代子と申します。
…厳密に一言で団員というのもな~と思ってしまう(笑)のですが、少し「とんとこ」について説明させてください。

「劇団とんとこパピィ」の発足となったきっかけは、当時、年に1度のペースで活動していた、佐賀県内に存在する様々な劇団や、私も含めフリーで活動している役者を集結させた「バビロニア・カンフーマン」のプロデュース公演でした。
公演を見て感動したというお客様からの要望で「地元でこんなことが出来る役者さんたちがいるのであれば、自分の子供が通う幼稚園でぜひお芝居を見せてあげたいんです」という依頼からのスタート。

各劇団等所属のメンバーが、それぞれの劇団でやってきたのは、劇団主導の一般対象の作品でした。ですが、この時望まれていたのは、対象年齢に合ったモノでかつ観て楽しんでもらえる作品です。

自分たちが「やって観せたい」作品ではなく、依頼者が「望んでいる」作品を提供する。

今から15年前、2007年のことです。

有志が集まって活動をスタートさせたのが幼稚園での公演だったので、初代代表が名付けた「太鼓を叩きながら歩いてワンワンとなく子犬(パピィ)のオモチャ」をイメージした、ちょっぴり可愛らしい劇団名(笑)で、現在も活動を続けています。

発足当初1~2年、希望開催日は平日がほとんどで、佐賀での役者活動の現実問題としては、生活を支える基盤である仕事等の都合で、依頼があっても、断っていたのが現実です。

2009年になり、二代目代表の元、一時ストップしていた活動を再開させるにあたり「どんな現場も断らない。その都度、脚本や構成の工夫、アイデア・努力で開催する。」と決め、依頼の幅は、県内外問わず年々増え、幼稚園・保育園・放課後児童クラブ・小学校・中学校・高校・生涯学習関係・イベント等と広がり、2019年には、年間およそ100現場以上の需要があり順調でした。

小学校体育館・訪問公演(2015)

 

学童保育・訪問公演(2017)

また、幅広くどんなニーズにも対応できるよう、パフォーマンスの分野も取り入れてきたので「劇団とんとこパピィ/とんとこ一座」という名前で、現場の内容によって呼称を使い分けて活動しています。

いろいろ説明すると自己紹介だけで長くなってしまいますが、「劇団とんとこパピィ」自体が、県内・県外問わず、様々な劇団に所属していたり、フリーで活動する役者の集まりで、登録メンバーで構成・活動している劇団です。

依頼者が望んでいるモノを受け入れる窓口となり、様々な色でアウトプットして提供するプロデュース「劇団」です。ほぼ依頼公演なので、一般公開のイベント等以外の場で目にした方はあまりいないと思いますが…。

イベント・パフォーマンス(2018)

そういった事情もあり、そろそろ劇団として自主企画をと進めていた矢先に、コロナ禍です。自主公演企画の進行、これまでの現場、全てにおいて、見事に影響を受けました。

自主計画はすべて中止、依頼されていた現場も延期となり、最終的には開催中止でキャンセルの嵐です。公共の場、教育機関や地域コミュニティ等が主だったので、コツコツやってきたこれまでの十数年間があっという間にリセットされてしまいました。

だからと言って何かできる力もなく、ただひたすら世間の状況を見守るだけの日々。
この先どうなっていくのか、未来が見えないまま…。

そんな中、こんな状況だからこそと、新たに望まれたのが、後に「SC(シミュレーション・キャスト)プロジェクト」と名付けた、役者のスキルを使った大学とのコラボプロジェクトです。

医療系大学の現場では、コロナ禍により、実習で病院に出向き、実際の入院患者と接することが出来ない看護学生がいて不安を抱えていました。また、その指導を行っている教授もまた、実際の現場を体験させることが出来ないと頭を抱えていました。

「模擬患者(SP※シミュレーション・ペイシェント)」という存在は、以前からあり、病状や症状に詳しいOBの看護士や、教師、講習を受けたボランティア等に、あくまで病状等を分かったうえでの対応練習としてやっていたそうです。(※大学によって様々)

SCプロジェクト・学生資料用撮影(2021)

でも、現場のリアルな悩み、求めているものを追求していくと、欲しているのは、実習体験に限りなく近い、人と人が関係を築き上げるコミュニケーションが不可欠な「究極の疑似体験」でした。

性格、生活環境、家族構成、人間関係等、一人の人間として生きているバックボーンをふまえた対応と反応。

条件がそろった、とある「人物」を、創りだす。作品に向き合う役者が追求し、表現している事、そのものではないでしょうか。

大学、病院、劇団が協力し、「究極の疑似体験」を生み出すべく最初に取り組んだ初めてのケースでは、数週間をかけ、手術を終えた入院患者、そしてその家族として、時間経過をふまえて病室での対応を再現しました。本当の現場と同じく、その患者のカルテも病院側の協力で作成され更新され、一人の患者として存在します。
その取り組みは、全国紙、医学書院の専門雑誌「看護教育」にも掲載されました。

【看護教育】
看護教育 Vol.62 No.9 | 医学書院 (igaku-shoin.co.jp)

<その他参考記事>
【長崎大学】
「大学・病院・模擬患者の連携によるCOVID-19に対応した成人看護学実習Ⅰの取り組み」が掲載されました (labby.jp)

【佐賀新聞】
佐賀県内で活動の劇団とんとこパピィ 看護学生の実習で患者役 作り込んだ演技の臨場感 | 行政・社会 | 佐賀新聞ニュース | 佐賀新聞 (saga-s.co.jp)

劇団側として取り組むにあたり、患者だけではなく、時には患者の配偶者、兄妹、医者と、ケースに合わせて役があるので、模擬患者と呼ばれる「SP」ではなく「SC(シミュレーション・キャスト)」と名付けました。

また、対面でもリモートでも、ケースバイケースでハイブリット対応出来るように話し合い、進めました。

きっかけとなったこのケースは看護教育の現場でしたが、リアルなコミュニケーション不足が問題として取り上げられることが多くなった現在、様々な場所、シチュエーションにおいても、この先の未知数の可能性を感じました。

SCプロジェクト・リモート対応(2021)

いつでも、少しずつ世の中は変化しています。

私自身、それはそこまで自覚のある事ではなかったのですが、改めてこのコロナ禍という大きな打撃で実感しました。周囲や環境の現状の変化に合わせ、求められることも変わる。

一度公演が決まればなにがなんでも開催する…そんな当たり前だったことが、延期や中止となっても仕方ないと受け入れられてしまう今、この先も、本当に以前とまったく同じような形を取り戻せるのか…?疑問と不安はつきません。

ですが、ただマイナス面だけを見るだけでなく、こんな状況だからこそ浸透した新たな手法やシステム、ニーズを見極め、うまく取り込み利用することが出来れば、新たな文化として進化するのかもしれないとも思っています。

演劇という分野は、壮大な規模で見ると、「人間」をテーマとし、感情、交流、生活、技術など、本当にありとあらゆる才を詰め込んだ「トータルアート」であり、生きていくうえで大事なことが、ふんだんに詰め込まれた文化だと思っています。

だからこそ必要とされないことは、絶対にないと言い切れます。

上手く表現できませんが、全てにおいての「根本」となる材料がここで見つけられるし、育てられる。人が生きていく上で、不可欠なものだと声をあげたい。

最後に、これは個人的な感想ですが、「演劇」は守っていく分野ではなく、進化していく分野として、先へ向かう事が、今求められているのではないのかと、切に感じています。

岩崎香代子(劇団とんとこパピィ/佐賀)

2020.01.17

コラム|「蒼天」に未来を描いて ~「2019さが総文」の軌跡~(佐賀)

 佐賀東高校演劇部顧問の彌冨公成(いやどみこうせい)と申します。佐賀県高文連演劇専門部では委員長をさせて頂いております。今回で2度目の寄稿となります。


佐賀東高校『S・∀・G・A』(都城市総合文化ホールにて)

 2019年7月、佐賀に「全国高等学校総合文化祭(2019さが総文)」がやってきました。昭和52年から毎年開催されてきた全国高総文祭。演劇、合唱、吹奏楽、器楽・管弦楽など、規定19部門の舞台発表と展示発表のほか、複数の協賛部門が全国各地から集まります。開催地は各都道府県持ち回りで、その47年に1度の奇跡がこの佐賀に廻ってきたのです。しかし各部門大会を開催するにあたってのキャパを満たすホール、会場そのものの数が先催県と比較して圧倒的に少なく、さらに運営にあたる高校生や大人の数が極端に足りないこの佐賀県での開催は容易ではありませんでした。「代わりがいない」「1人でも逃げれば壊れてしまう」という緊張と重圧。しかしそのような状況だったからこそ、誰もが「いま私は必要とされている」という確かな手応えを感じながら日々を過ごせたように思います。また県や市町村からのバックアップも大きく、それが大会の認知度アップにつながりました。佐賀県は2018年度に「肥前さが幕末維新博覧会」という大きなイベントを成功させていました。それまで何気なくそこにあった建造物や墓地がいきなり「観光地」となり、多くの佐賀県民が「歓迎する立場」にあることを自覚し、「ホスピタリティ」を意識するようになりました。「生活の場」の魅力的な変貌は県民に喜びや誇りをもたらし、その勢いが見事に「さが総文」へと受け継がれたのです。

 そのような中、私は演劇部門の運営と総合開会式で上演する構成劇の脚本を担当することになりました。「2019さが総文」のテーマは、「創造の羽を広げ、蒼天へ舞え バルーンの如く」。蒼天(そうてん)は、視界を遮るような高い建物のない佐賀に相応しい言葉でもありますが、この何もない広大な大空をキャンバスだからこそ「想い」を自由に描くことができる……そんなイメージを持たせるものでもありました。そこから想起した構成劇のタイトルは『蒼天の翼』。佐賀を拠点として大活躍中の「ティーンズミュージカルSAGA」代表、栗原誠治さんに演出をお願いし、佐賀が誇る作曲家や舞台技術者の皆様、鳥栖商業高校ダンス部のお力を頂きながら、プロジェクションマッピングをも用いた壮大な作品を制作することになりました。大会事務局の吉永伸裕先生が高校生たちの要望・意見をまとめてくださり、それが『蒼天の翼』のシナリオの大きな柱となりました。
 『蒼天の翼』に登場するのは、高校3年になる「落ちこぼれクラスの生徒たち」と「担任」。何事にもヤル気のないクラスメートたち。そんな彼女たちのために、おとなしい女子生徒「ミライ」が文化祭の劇の台本を書く……。物語はそこからスタートします。ミライが描く台本の世界は、登場人物たちがいきいきと冒険を繰り広げる『イキバ』。嫌々ながら稽古に参加していた生徒たちも、次第に教室の鬱々とした空間(『仮ノ世』)から抜け出すべく、『イキバ』へと想いを馳せるようになります。『仮ノ世』と『イキバ』を行ったり来たりしながら、生徒たちと担任教師は「私たちは何のために生きているのか」を模索していきます。
 
「私たちは何のために生きている?」
 登場人物のひとりが答えます。
 「しあわせになるために、いきている。」

 少子化問題。年金問題。老老介護。ワーキングプア……。いまの高校生たちが大人として生きる数十年先の未来を思えば、とても不安になります。いまの大人たちが残してあげられるモノ、システム、コトバ……どれをとっても不確かで、霧が立ちこめ先が見えない状態です。ですが彼女たちには、何も残されていないからこそ自由に描けるキャンバス、「蒼天」が広がっているのです。
 いまあなたが生きている場所は、『仮ノ世』か、それとも『イキバ』か。
 こんな時代を高校生として生きている彼女たちのメッセージは、世代を超えて多くの観客の心に届いたようでした。

 「生活の場」が「観光地」へと変化した2018年の維新博。その成功の瞬間は、佐賀の人々がまさに「いま私は必要とされている」という手応えを感じた瞬間、佐賀の日常が「生きる(活きる)場所(『イキバ』)」へと変貌した瞬間でもありました。佐賀には現存する歴史遺産が他県ほど多くありません。県が消滅するという苦い過去もありました。ですが「遺したい」「伝えたい」という県民の魂だけはしっかりと受け継がれてきたのです。そしてそれは「芝居」という形で蘇りました。例えば「佐賀の八賢人おもてなし隊」の方々は、幕末・維新の礎を築いた佐賀の偉人たちの歴史を訪れた大勢の観客にわかりやすく伝えておられ、様々な年齢層に親しまれています。モノやカタチがないところから「想い」や「魂」を蘇らせ、人々に「伝える」演劇の力。維新博のフィナーレでは、山口祥義知事が「『おもてなし隊』がいてくれたから、私たちはここまでやれたんだ!」と力強く語られました。「人」の力、「想い」の力、そして「演劇」の力の大きさを改めて感じ、胸が熱くなりました。さらに昨年は、県内の実力派俳優が顔をそろえた劇団SA-GAが旗揚げし、明治維新期の偉人たちを描いた歴史活劇『暁のかけら』が上演されました。そして私たち佐賀東高校演劇部も、佐賀の偉人たちや佐賀東高校の卒業生「はなわ」さんのことをモチーフにした『S・∀・G・A(エス・エー・ジー・エー)』を制作し、県内、そして福岡県、宮崎県にて上演しました。今後も九州内の中学、高校、公民館などで、人々の「想い」や「魂」を伝えるべく公演を重ねていく予定です。


佐賀東高校『S・∀・G・A』(都城市総合文化ホールにて)

 また私ごとですが、このたび「文部科学大臣優秀教職員表彰」を頂きました。タイムレースや得点競技とは異なり、高校演劇は周囲の方々のお声やご支援があってこそ成り立つもので、今回はその積み重ねが受賞につながりました。お客さまや依頼をくださった方々のご支援、職場の皆様のご協力、何より生徒たちの熱意と頑張りなしには頂けないものでした。本当にありがとうございました。

 
 2019年。「さが総文」に生きた一年。県民にとっての一生に1度の奇跡の年は、「『何もない』と思っていた佐賀」が「『伝えたい』佐賀」になり、『佐賀だからこそ』『私だからこそ』できることをワクワクしながら追い求め、幸せに「いきた」1年でした。そんな私たちが生きる佐賀は、「行ったことがない都道府県、全国ナンバー1」です。伸びしろが無限にあります。やりたいことがいくつもあります。そしてその先にあるのは、約半世紀後の「肥前さが幕末維新200周年」。部員たちとこれまで育んできた「想い」や「魂」を、50年後も100年後もきっと誰かがこの「演劇」で伝えてくれるように……。そんな未来を想い描きながら、これからもここで生き、つないでいこうと思います。

2019.11.05

コラム|地域と人をイキイキさせる演劇の力(佐賀)

 私は演劇をどうすれば身近なものにできるかをずっと考えてきました。

 高3で渡米し、世界の演劇事情を見てきました。日本では、特に地方では一般的には演劇が遠い存在だったので、それをなんとかしたいと思う気持ちが芽生えたのは、2008年夏に佐賀に戻ってきた時でした。

 その当時は、佐賀では演劇というものが一般的に社会の中での存在感が低かったと言えます。しかし、そこに落胆するのではなく、まだ地域社会において幅広く認知されていないのであれば、アプローチを変えることで演劇文化を根付かせることができるのではないかという可能性も感じました。

 まずは演劇ができることの可能性に気づいてもらう必要があると感じました。これまで接点がなく必要がないと思っている方々に、もしかしたら演劇を使って何かができるかもしれないと思ってもらうということです。実は、これは私が思いついたわけでもなく、昔から何か大事なテーマを伝える方法として演劇が使われてきました。
 演劇が始まったと言われる古代ギリシャでは、劇場に集まり観劇することが市民の義務であり、そこでモラルなどを学んだと言われています。つまりは演劇の根本は市民の教育だったのです。

 そんな原点に戻ってみる発想から、様々な人たちに演劇の可能性について私のアメリカでの経験を踏まえて話しをしてまわりました。少しずつ共感してくれる人たちが増えていき、人権・同和問題などについての演劇、歴史を伝える演劇(人物、出来事、物語)、防犯演劇(交通安全、詐欺防止)、インターネット情報モラル啓発劇などの実践につながりました。

 佐賀に戻ってから様々な人たちの出会いの中から生まれた代表的なものが、私のライフワークの一つとなっている「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」です。
 幕末・維新期に佐賀が輩出し、明治政府の礎を築いた賢人たちの史実をもとにした20分ほどのオリジナル寸劇を上演する活動です。当時、佐賀市観光協会にいらっしゃったプロデューサーの桜井篤さんとの出会いがあり、観光のプロと演劇のプロの二人で協力して2012年2月に立ち上げました。
 佐賀城本丸歴史館で開催されている歴史寸劇定期公演(毎週日曜日、1日5回)を同年9月に開始し、今日まで欠かさず上演を続けています。この活動があることで、佐賀が「毎週演劇がある町」になり、ありがたいことに遠方から我々を目当てに佐賀に来てくださるお客様もいます。たまたま寸劇を見てくださる方々との出会いでは、演劇は意外に面白いと思ってくださることにつながっています。様々な団体や行政からの上演やイベントなどで寸劇の作成依頼なども受けています。佐賀の遺産である歴史をテーマとし、全て「Made in Saga」で演劇を活用した特徴的な事例だと言えます。

 これまで約11年間、私は佐賀での活動を通じて地方における演劇の役割と可能性を模索してきました。多様化する現代社会において演劇が社会的に影響を与える可能性は大きいです。表現・コミュニケーション能力育成をするこができます。地域で人を育てることがきます。町に文化が定着します。つまりは、演劇は地域と人をイキイキさせることができるのです。
 これから変わっていく地域社会においても、演劇が必要とされ続けられるよう、さらなる文化の定着と発展を目指して邁進してまいりたいと思います。


演劇家 青柳達也 活動略歴

高3で渡米し、アメリカの大学・大学院で演劇学を学び、演劇活動と教育に携わる。チェコ、ポーランド、コスタリカなどでの演劇活動を経て2008年帰国。佐賀大学において演劇教育の科目も持つ。
活動の詳細

2017.11.09

コラム|佐賀演劇の変化~5年後に向けて(佐賀)

こんにちは。
佐賀で活動しています、劇団Ziシアター代表の辻恵子です。主に演出として活動しています。このコラムに寄稿させていただくのは2回目で5年ぶりとなります。

5年。皆さんの地域の変化はいかがですか?

佐賀は少しずつ変化していっています。
新たに演劇を始めた人もいますし、新たな団体もありますが、この地を離れていった人も辞めていった人もいます。また、ステージマロの閉館であったり、金曜ショー劇場がその活動を終えたりと、決して良い状況とはいえません。

けれど確かに、緩やかではあるけれど「演劇」という文化の裾野は広がっている、そう感じています。

どのように広がっているかというと、「演劇」というツールを使って「何かを伝える」という形です。演劇自体が何かを伝えるものですから当たり前です。が、その上演の場は劇場ではなく、学校や公共施設など劇場以外の様々な場所です。

伝えるものは地元の歴史や偉人であったり、子育てや未来についてだったり、また、防犯や詐欺防止などの啓発劇としての上演もあります。
なんだ、と思われるかもしれませんが、以前の佐賀にはあまり無かったことです。

その中でも佐賀県まなび課が実施している「ちょこっとみらいのHAPPYカンジル事業」は行政と地元の劇団が協働で行っている事業で、2013年から2017年まで実施されており、主に高校生を対象に上演されています。(各年20箇所程度。)


※劇団「とんとこパピィ」による上演の様子

未来へのイメージを明るく楽しいものに感じてもらう為に構成された寸劇とトークショーというプログラムは非常に好評で、また、目の前で観る演劇を提供するという点でも非常に意味のある事業となっています。(※当初3年間はさがユースシアターが実施。)


※トークショーの様子

また、同じく佐賀県まなび課による「文化体験・鑑賞教室」も2012年から継続されています。

これらの事業の効果が見えてくるのはまだまだ先のことでしょうが、少なくとも、地元で活動する劇団が学校に来て上演してくれたという体験は、子ども達にとってすばらしい思い出になっているのではないでしょうか。

さて一方、劇場で上演される地元劇団による公演はというと、あまり活発といえる状況ではありません。定期的に活動している団体も少なく、また「観劇」が身近なものになっているともいえません。
そもそも、観劇人口が少ないのかもしれませんが、市民劇場や子ども劇場など歴史ある活動団体もあり、観劇の機会が無いわけではありません。

何かしら「壁」のようなものがある、そのようにも感じています。
これらは佐賀で演劇に関わる団体すべてに通じる課題なのかもしれません。

そんな状況の中、今とっても元気がある団体が「佐賀若手劇団さわげ」です!
2014年に開催された佐賀・若手劇団演劇祭をきっかけに活動を始めた団体で、これまでに3回の公演を行い、来年1月に第4回公演「大罪」を上演します。


※佐賀若手劇団さわげ第3回公演「エキサイトリリー」より

5年前には少数だった20代が今とっても元気な佐賀演劇界です。彼らの活動が今後どのような展開を広げていくのか?また、ここからどんな演劇が生まれてくるのか?5年後、この佐賀の演劇がどのように変化を遂げているのか?

とっても小さい県、佐賀。
けれど、北部九州各地に近く、福岡、久留米、少し足を延ばせば熊本、北九州、長崎、佐世保にも行けます。佐賀にこだわることなく、その活動の幅を広げていって欲しいですし、また、それらすべてが次に繋がっていくと思っています。

5年後。
この佐賀で「演劇」が更に身近なものになっていますように。

辻恵子(劇団Ziシアター 代表、佐賀演劇連盟 理事)

2016.01.30

コラム|火を絶やさぬように。(佐賀)

皆様、初めまして。佐賀の劇団、劇団熱輝球の高尾大樹と申します。どうも、以後お見知りおきを。

 

gatag-00003184

一昨年の十二月末のステージマロの閉館後、若手の僕らには絶望が漂いました。僕らの演劇は受け皿を失ったのです。安価に借りれる演劇に向いた箱、佐賀にはそんな場所が少ないのです。ステージマロは数少ない貴重な場所でした。そこが、閉館してしまったのです。結果、場所がないばっかりに、表現したいという熱だけが放射冷却されていく。佐賀県は正直に言って、環境的に演劇に向いた土地ではなく、佐賀県民において演劇とは、身近な娯楽ではありません。乗客も止まる駅も無く、電車は孤独に走っていく。それは誰に望まれたわけでもない電車のエゴだったのです。
そんな現状は、パキリと音を立てて打破されました。

 

IMG_96992

昨年十月、「戦国武闘伝OZ」は、佐賀の若手役者を中心に公演されました。佐賀では珍しい大きな規模であるその公演は、確かに観客を熱狂させました。いや、観客だけでなく僕ら若手の演劇人を熱狂させました。若手の演劇人と言っても、佐賀の演劇界には若手がおりませんでした。四十以上の年齢がメインであり、二十代三十代の演劇人は少なかったのです。ここ二三年で、二十前半の演劇人が(そう言う僕も二年前に佐賀演劇に飛び込んだ二十二歳です)増えました。それでも、二ケタに満たぬぐらいでしょうか。それも学生という期限付きの演劇人。何人が佐賀に留まるかは分かりません。それも今は当然です。「演劇を本気で続けるならば東京に行かなきゃ」。それが常識なのですから。
ですが佐賀の演劇界は今、熱を帯びています。

 

もっと佐賀に観劇文化を根付かせよう。若手だけじゃなく、佐賀の演劇人は、皆そう考えています。
その熱を、火を絶やさぬように。この火が絶えなければ佐賀において「学校卒業後も演劇を続ける」ことは、そう珍しいことではなくなるでしょう。趣味ではなく、職業選択としての演劇。
ステージマロの閉館時の絶望は、今は遠く、ここには希望が満ちています。佐賀の演劇、ぜひ皆様もカンゲキ、しにきてください。

(劇団熱輝球・高尾大樹|佐賀)

kenjin_keiko

写真は上から

有明海の夕日の写真|佐賀市上空からの写真|佐賀での稽古の様子

2015.01.31

コラム|「想い」のゆくえ(佐賀)

佐賀東高校演劇部顧問の彌冨公成(いやどみこうせい)と申します。県高文連演劇専門部では委員長をさせて頂いております。

佐賀東高校演劇部の2014年は、なかなかの多忙でした。青年会議所、佐賀大学医学部、市のPTA協議会、佐賀いのちの電話など、様々な団体からテーマを与えられての依頼公演を行いました。県外では、大阪のすばるホール、道頓堀ZAZAhause、かごしま県民交流センターなどでも公演させて頂き、トータルで新作10作品、のべ22会場での公演となりました。2014年度佐賀県教育長表彰、そして九州高校演劇研究大会でもありがたい賞を頂き、今夏の全国大会(びわこ総文祭)に九州代表として進出することができました。

佐賀東1resize

私は「いやどみ☆こ~せい」の名で台本の執筆にあたり、昨年書いた原稿用紙を数えると1000枚以上になりました。顧問経験14年目にして過去最高記録かも知れません。そんな私の本業は、国語教師です。ちょっとカタい話になります。高校国語においては近年、「表現力」なるものの伸長が求められており、それが「生きる力」育成のカギを握るとされています。小中学校でも「上手に表現すること」が求められ、広用紙(今は電子黒板)を指さしながら、「大きな声で」「わかりやすく」「論理的に」説明する力、討論で「相手を説得させる」力を身に付けるための授業が展開されています。「自分の考えを積極的に述べよう!」「相手を説得できるようになろう!」なんてことを目標にするわけです。積極性があり理論武装をした大人たちがあちらこちらに棲む未来は……ちょっと怖いですよね。それに、日本が大切にしてきた『謙譲の美徳』(佐賀由来の『葉隠れの精神』なんてものもありますが……)、そんな感覚も薄れていきそうな気がしなくもありません。ですが実際は、皮肉なことですが、そういった心配は要らないようです。なぜなら、「想いを自由に表現しよう」なんて言われても、彼らの多くが「もともと『想い』なんて持っていない」という、根本的な問題を抱えているからです。

東京医科歯科大学の調査によると、最近「味覚障害」の子どもたちが急増しているそうです。「甘い」「苦い」などの味覚を認識できない子どもが30%にものぼるとのこと。「子どもが同じようなものばかりを食べている」ことが原因らしいのですが、なぜそうなるかというと、「親が子どもに『今日はどんなものを食べたいの?』と聞いてしまうから」だとか。子どもの側からすると「食べたことのないもの」はリクエストのしようがありませんので、いつも似たようなメニューのローテーションになる。子どもたちが「自由」に「好きな」ものを食べられるようになった結果、複雑な味を感知するセンサーが働かなくなってしまったのです。

「味覚」と「感受性」を一緒にしてはいけないのかもしれませんが、強制されることなく自由に好きなものに触れることのできる子どもたちは、興味外のものに触れる機会を逃し、得られるべき多様で有益な感受性を得られずに生きているのかも知れません。「想い」のバックグラウンドとなるもの……知識や体験、感じ取るセンサーの欠如。「表現力の育成」のためにアウトプット(出力)の質を向上させようと躍起になってはみたものの、子どもたちの「想い」の根源となるものをうまくインプット(入力)させられていない……。「自由」という魔法の言葉や、学校教育のこういった弱さも、子どもたちの「感受性障害」に拍車をかけてしまっているのです。

去年の春のことです。

「世界遺産候補『三重津海軍所』」を扱った劇を書いて欲しい」という突拍子もない依頼が来ました。「顧問も生徒も郷土の歴史のことをよく知らないので、資料をください。」と申し出たところ、DVD1枚と薄いパンフレットを頂きました。ですが1時間の芝居を創るには情報不足でした。図書館に行っても参考となる文献はありません。切り札であるはずのインターネット情報は、パンフレットと同じ。地元の歴史に詳しい方に聞いても、「あまり文献が残ってないんですよね」とのこと。「インプット」できるものが圧倒的に足りない状態で、県や地域の「三重津海軍所の世界遺産登録を目指す」熱心な方々を前に芝居を上演せねばならない。困りました。

「調べても情報がないのなら、現場に。三重津海軍所跡地に行ってみよう!」

生徒の一言がきっかけで、皆で自転車をこぎ、現地に赴きました。河川敷まで来ましたが、案内の看板などはありません。公園に自転車をとめ、スマホで位置を確認しました。

「もう少し下流だろ。」
「あの橋の下あたりが怪しい。」

建物の跡や石碑などがないかを、散々歩いて探しました。しかし、何もありません。日が沈み出したころ、一人の生徒がスマホで古地図らしきものを見ながら声を上げました。

「場所、わかった!」
「え、どこよ。」
「さっき自転車置いた公園。」
「……は?」

佐賀の未来を担うべく、佐賀藩の誇り高き有志たちによって建造された海軍訓練所は、石碑ひとつ残すことなく広場になっていたのです。「○○病予防の劇」や「○○防止の劇」などをいくつか書いてきた私も、さすがに行き詰まりました。そんなとき、生徒たちが口々につぶやいたのです。

佐賀東3resize

「どうして壊したんだろう。」
「残す意味を感じなかったのかな。」
「それはないでしょ。日本で初めて実用的な蒸気船を造った海軍所だよ。」
「『葉隠れの精神』とか?派手に誇ることを好まない佐賀人の性格?」

「軍事的な建造物は、敗戦の際に壊されたんじゃない?」
「平和のためってこと?まさか。」
「てか……、壊されて悔しくなかったのかな。」
「誰が?」
「ここで生きてた人たち。」

この子たちにはもともと「佐賀への誇り」などはありませんでした。でも日本で最初に造られた実用型蒸気船「凌風丸」は現存せず、日本に誇るべき業績を有明海の泥にまみれながら積み上げてきた海軍所は、150年後の今、小さなジャングルジムになっている。そのことへの疑念、悔しさ、哀しさが、彼女たちの魂を揺さぶりました。「インプット」できるものはありません。ですが、未来のために積み上げてきたものが壊されてしまった佐賀藩士たちの「痛み」を想像し、彼ら勇士たちが想いを託したはずの「未来の佐賀人」としての使命を感じながら、今の自分たちにしか語れない「想い」をつくり上げていったのです。

「ものはなくても、想いはつながる。私たちが『演劇』で残せば、佐賀藩士たちの想いは未来に受け継がれる。」

その芝居は「やる気のない高校生たち」が、地域からの要望で強制的に「凌風丸の模型を造らされる」ところから始まります。高校生たちは暇つぶしに皆で自転車こいで海軍所跡に向かいます。でもたどり着いたところはちっぽけな公園……。

「三重津海軍所、どうして壊したんだろう……。」

誰かがつぶやき、過去と現在が交錯しながらストーリーは進んでいきます。佐賀に生きる高校生として、何を感じ、あのだだっ広い『遺産』に立って、何を『想った』か……。そのまま素直に表現しました。

こうして、佐賀東高校演劇部作『明日のきみへ』が完成。8月中旬の大阪、そして8月24日の佐賀城にて公演となりました。

「私、将来は佐賀で働いて、佐賀の劇団に入りたいな。」

佐賀東2resize「東京」やら「関西」やらを口にしていた生徒が、この劇を終えてからそっとつぶやきました。刷り込みも感化もありません。与えられなければきっと知るはずも、想像するはずもなかったこと。でもそこから生じた衝動を起点にして、大切な人生を考えたのです。

「積極的に想いを表現しなさい」とせき立てられ、戸惑えば「何でも、自由にいいんだよ」と微笑まれる。いよいよ切羽詰まったときには「コピペ」に頼ればい。そんなことを繰り返していくうちに、自分には「想い」がないことに気付く。でも、なんとなく生きていける。若者にとっては、そんな時代です。

一方演劇に携わる高校生たちは、昨今問わず、「表現すること」を自らに課さねばなりません。「どんな劇をしようか」と話し合ったところで、何かしらのバックグラウンドとなるものがどこにもない……。「ならば体験をモトに書こう」となると、「いじめ」や「SNSでのトラブル」などに行き着く。気合いを入れて稽古し、演劇祭に出してみると、他校も同じような舞台を上演していた……。そんなことが多々あります。ですが、「芝居作り」なんて特異な体験をしない限りは、彼女たちは「スマホばかりを見ていた自分の横顔と真剣に向き合う」なんてことはなかったはずで、「人に見せる芝居」としての価値はともかく、その芝居を通じて自身が多くの何かを得ることになるのです。

高校演劇を「枠にはめて創ったもの」「自由のないもの」だと卑下してしまう人もいます。そう言われても仕方のない部分もあります。でも、そんなどこにでもありそうな芝居ひとつひとつは、数少ない「インプット」にしがみつきながら、「それでも自分の『想い』を表現しなければ!」と必死にもがいている、闘いの結晶でもあるのです。しがみついて、道に迷って、時には興味外からの強引な要望に応えながら、でもそうやって世界を広げていけば、もっと人生を楽しめる人間になれるかもしれません。結果、単なる自己満足になるでしょう。でも、人間が自己満足を否定したら、「じゃあ何のために生きてるの?」ということになってしまうと思うんです。彼女たちが「周囲を楽しませること」に満足を見出せるようになってきたら、世界もほんの少しだけ幸せになると思います。

授業が終わると、いつもの日常が待っています。

「先生、次の劇、どんなのにします?」
「どんなのでもいいよ。お前らはどんな劇がしたいの?」

稽古場で寝転びながら私は、結局はこんな大人の決まり文句を吐き、部員たちは笑いながらこう返します。

「じゃあ、先生の想ったことを『自由に』書いてください。」

2014年は、「与えられた」年でした。「生かされた」年でした。
でも、部員も私も、いつも以上に「生きた」年でした。
今年も幸せな日々を生きていこうと思います。

佐賀県高文連演劇専門部委員長・佐賀東高校演劇部顧問
彌冨公成

2013.09.03

コラム|なぜその土地で芝居をするのか?(佐賀)

皆さま、こんにちは。

私は、佐賀演劇連盟のホームページやブログ、Facebook等で佐賀演劇の情報発信をしております、瀬崎智子と申します。今回のコラムでは、なぜその土地で芝居をするのかを大きく「場所」と「人」という2つの観点から考えてみたいと思います。

「なぜその土地で芝居をするのか?」
皆さまも1度は考えたことがあるのではないでしょうか。

「生まれた場所がそこだった」
「ここでしかできない芝居がある」
「たまたま流れ着いた」

いろいろな理由が皆さんそれぞれにあるのだと思いますが、なぜ私が、もしくは佐賀演劇人が佐賀で芝居をするのか?疑問に思われる方もいらっしゃるのではないでしょうか。佐賀県は全国からの認知度が低く、九州7県の中でもなかなか名前が出てこないという方も多いと思います。人口も約85万人と全国順位では下から数えた方がはやい位置にあります。正直、役者もスタッフの数も十分とは言えません。
しかし、それでも佐賀で芝居をするのは「場所」と「人」という大きな支えがあるからだと思います。

◆佐賀の「場所」について
もう少し細かく「稽古場所」「公演場所」「交流場所」に分けてみます。
・佐賀で芝居の「稽古場所」といえば、公民館です。佐賀の公民館は無料のところが多いのでとても助かります。無料の駐車場が併設されているのも、ありがたいことです。また、公民館を通してその地域の方々との交流が生まれることもあり、佐賀の演劇人にとって、とても大切な場所となっています。また、佐賀演劇連盟に加盟の「劇団Ziシアター」や「劇団とんとこパピィ」などは自身の稽古場や倉庫を自分達主催の公演ではない時にも、他の団体・個人に提供したりと横の連携があることも佐賀の特徴といえると思います。

IMG_0098・佐賀の「公演場所」はバーや喫茶店から小、中ホールと数は多くはないものの、そのどれもが他県に比べれば安く使用することができます。
例えば、連盟に加盟している「金曜ショー劇場」、通称「金ショー」。今年で15年目になるのですが、その15年間、場所を提供してくださっているのが佐賀市にあるバーでライブスペースでもある「FRONTIER」です。この場所は佐賀の演劇人にとって家、HOMEとも言えるところです。【写真①-2013年8月金ショー 連盟加盟の「斜陽」より 撮影:SEN】
また、連盟加盟の「劇場STAGE MARO」、通称「ステマロ」は、若手の劇団や他県からの劇団公演を行いやすい、手ごろな広さと料金を提供しています。IMG_0098公演だけでなく、稽古や交流会の場にもなっており、深夜まで使用できるというのも大きな魅力といえるでしょう。【写真②-2013年8月 演劇ユニット「のきっぴ!!」より 撮影:SEN】
昨年2012年には、唐津市の町屋カフェ「ぜん」の2Fに「響く乃間」という日本情緒あふれる雰囲気の良い芝居空間もできました。連盟加盟の唐津演劇集団「響」は、そこで芝居だけでなく落語や朗読といった企画も行っています。【写真③-2012年12月 第1回唐津演劇フェスティバルより 撮影:SEN】IMG_0098

・佐賀の「交流場所」といえば先ほどもご紹介した「劇場STAGE MARO」で月の第1水曜日に行われている「佐賀演劇交流会」があります。演劇交流会と名は打っているものの、バンドマンやマジシャン、何もやっていない人もOKの、なんでもありの交流会です。佐賀演劇連盟にくる個人や団体の窓口にもなっていて、他県からも交流に来られます。ブログやFacebookなど多くのSNSが交流の中心になろうとしている中でも、貴重な人と人との生の交流の場となっています。

◆佐賀の「人」について
佐賀演劇は役者やスタッフの数が少ないこともあり、個人や劇団が比較的つながりやすいといえます。そのつながりから衣装や小道具等のモノの貸し借りが行われたり、役者やスタッフの行き来も生まれています。特にスタッフに関しては個人で複数の団体の裏方に関わっていたり、役者の体のメンテナンス的なことをボランティアでしてくれる人もいます。

このようなことからみても、なぜ佐賀で芝居をするのか?という問いに対して、あらためて答えるまでもないような気がしてきます。芝居をするには佐賀は恵まれた地と言えるのかもしれません。しかし、その「場所」も「人」も努力なしには存続し得ないということを認識しなければならないと思うのです。
例えば「公演場所」は、安く提供できるのには理由がいくつもあって、「FRONTIER」はマスターやスタッフの方の芝居への深い理解があってこそですし、劇場は個人的にお金を出して存続させてくださっていたり、ほぼボランティアで管理してくれる人がいるからこそ、その価格で提供できています。「交流場所」としての「佐賀演劇交流会」も、この6年間、個人的に毎月毎月開いているもので、その継続力には頭が下がります。こうした努力と愛のもとに佐賀の芝居は続いてきました。ひとえに佐賀で芝居をしてほしいとの想いからです。
「なぜ佐賀で芝居をするのか?」は「なぜ佐賀で芝居ができるのか?」ということと向き合っていくということでもあるのです。

「なぜその土地で芝居をするか?」は「なぜその土地で芝居ができるのか?」ということ。だからこそ、その地で芝居を継続できるしくみを誰かではなく、一人ひとりが考え行動していかなくてはならないと思います。その土地で芝居ができることは、当たり前ではないのですから。
そして、未来のその地の演劇人たちが「なぜその土地で芝居をするか?」を越え「なぜその土地で芝居をしたいのか?」と考えるような地になるよう『想い』を残していきたいと思うのです。

最後に佐賀演劇の広報を少しだけ。佐賀演劇連盟にはコラムにあげた他にも団体・個人がおります。よろしければ下記アドレスをお暇な時にでも覗いていただけると、嬉しいです。また「佐賀演劇交流会」は、月の第1水曜日に「劇場STAGE MARO」で行われています。佐賀県の方はもちろん、他県の方も大歓迎です。ぜひぜひお越しください。
それでは、まだまだ暑い日が続きますが、皆さまお体ご自愛ください。

●佐賀演劇連盟HP: http://www.stagestage.com/
●佐賀演劇連盟ブログ: http://yaplog.jp/saga_gekiren/
佐賀演劇連盟Facebook
文:佐賀演劇連盟 瀬﨑智子

2012.08.30

コラム|これからの佐賀~継続はチカラなり~

皆さま、こんにちは。夏休みも終わりを迎え、ちょっとずつ秋の気配が感じられるようになってきた今日この頃ですが、元気にお過ごしでしょうか?

佐賀演劇連盟では、この春から初夏にかけて来年度の事業について話し合いました。
プロデュース公演を行うのか?何かしらの演劇イベントを開催するのか?今の佐賀演劇に足りないものは何か?何が必要なのか?連盟としてできる活動は何か?などなどなどなど。
最終的に出た結論は、それぞれの活動を重視し、連盟としては各団体の情報ネットワークを充実させていくというものでした。

思えば、これまでの佐賀演劇は盛衰の繰り返しだったように思います。特に2004年から2007年にかけて、色んな演劇イベントが開催されましたが、その勢いは続かず、劇団数が増えることもありませんでした。・・・なぜか?それはやはり、運営団体の持久力の不足であったり、どこか無理のある活動であったり、状況に合っていない企画だったのではないか?と。

2009プロデュース公演「ガーネット・オペラ」

そんな大きなひとつの演劇シーンが通りすぎた2008年、佐賀にて開催した「九州演劇人サミットin佐賀」をきっかけとして佐賀演劇連盟は活動をスタート。2010年にプロデュース公演『ガーネット・オペラ』(写真)を開催し、その活動を本格化しました。
現在、会員数9団体5個人。・・・多いのか、少ないのか、なんともいえないのですが、こうやって把握できるということが連盟の活動のひとつの効果のように思います。

もちろん、会員以外にも活動している団体もあり、会員団体及びミュージカル団体も含めると、約20の団体が佐賀で活動しています。ふと気になって、その活動年数をみてみました。おおよその数字ではありますが、3ヶ月~3年/7団体、4~9年/5団体、10~14年/5団体、15~19年/0団体、20~24年/3団体。(活動年数/団体数)

あらためてみると色んな面がみえてきます。一番の驚きは20代を中心とした団体の少なさです!もちろん、20代で活動している役者はいます!確かに少ないですが、いないわけではありません。ただ、20代が代表だったり中心的存在であり、尚且つ実際に活動している団体がほぼ無いのです。・・・ひぇぇ。
連盟の理事メンバーからは何を今更?と突っ込まれそうですが、いやはやなんともかんとも。あらためて考えさせられました。でも、もしかしたら、私が把握していないだけかもしれませんし・・・。

そんな状況の佐賀演劇、どうにかしなきゃと焦る気持ちもあるのですが、大切なのは、やはり、まずは今活動している団体がその活動を充実させ、また、継続できる環境を整えていくことであり、そしてそれが、若手の演劇人を育てることにも繋がっていけばと思うのです。
急激な変化ではなく緩やかな流れこそが、これからの佐賀に必要なものだと感じる夏の終わりであります。

文:辻恵子(佐賀演劇連盟 事務局)

2008.07.07

佐賀サミットの写真をウェブアルバムにしました

こんにちは。あっという間に一ヶ月が過ぎてしまいました。

ようやく佐賀サミットの写真をウェブアルバムにしましたので、どうぞご覧下さい。

http://picasaweb.google.com/stage.saga

当日の雰囲気が伝われば幸いです。

2008.06.25

福岡の後藤香さんよりサミットの感想をいただきました

大変、有意義な二日間でした。
同じ九州の演劇人と新たに出会い、触れ合い、情報交換をする、と言う事がこれ程自分の活動意欲を掻きたててくれるものだと気付いていませんでした。
これまでも色々な場で、全国各地の演劇人と出会い、刺激を受けてきましたが、九州演劇人サミットは、長い時間を共にし、他愛ない話から真剣な話までを、気張らずに語り合えたからでしょうか、仲間意識とライバル意識が私の中にちょうど良いバランスで生まれ、必要なものが必要なだけ染み込んで来た気がします。
九州の中では、恵まれた環境にある福岡ですが、皆さんの話を聞くにつけ、その環境にただ甘えてしまってはいないだろうか?と自分を省みる事多々でした。
今回、劇団以外にも、演劇を支えてくれている観客の皆さん、劇場の方々、その他関係者の皆さん、実に多くの方々と貴重な交流をさせて頂き、佐賀の皆さんの心尽くしのお持て成しを受け、刺激感謝感激で二日間を終えた次第です。
今、様々な角度から演劇を盛り上げようとする動きがある中、この九州演劇人サミットも又、九州演劇人のモチベーションと技術の向上を高め支える手助けに必ずなる、と強く感じました。
二日間で受取ったものを糧にして、今後も励んでまいりたいと思います。
有難うございました。

後藤香

Next »