2015.01.31
コラム|「想い」のゆくえ(佐賀)
佐賀東高校演劇部顧問の彌冨公成(いやどみこうせい)
佐賀東高校演劇部の2014年は、なかなかの多忙でした。青年会議所、佐賀大学医学部、市のPTA協議会、佐賀いのちの電話など、様々な団体からテーマを与えられての依頼公演を行いました。県外では、大阪のすばるホール、道頓堀ZAZAhause、かごしま県民交流センターなどでも公演させて頂き、トータルで新作10作品、のべ22会場での公演となりました。2014年度佐賀県教育長表彰、そして九州高校演劇研究大会でもありがたい賞を頂き、今夏の全国大会(びわこ総文祭)に九州代表として進出することができました。
私は「いやどみ☆こ~せい」の名で台本の執筆にあたり、昨年書いた原稿用紙を数えると1000枚以上になりました。顧問経験14年目にして過去最高記録かも知れません。そんな私の本業は、国語教師です。ちょっとカタい話になります。高校国語においては近年、「表現力」なるものの伸長が求められており、それが「生きる力」育成のカギを握るとされています。小中学校でも「上手に表現すること」が求められ、広用紙(今は電子黒板)を指さしながら、「大きな声で」「わかりやすく」「論理的に」説明する力、討論で「相手を説得させる」力を身に付けるための授業が展開されています。「自分の考えを積極的に述べよう!」「相手を説得できるようになろう!」なんてことを目標にするわけです。積極性があり理論武装をした大人たちがあちらこちらに棲む未来は……ちょっと怖いですよね。それに、日本が大切にしてきた『謙譲の美徳』(佐賀由来の『葉隠れの精神』なんてものもありますが……)、そんな感覚も薄れていきそうな気がしなくもありません。ですが実際は、皮肉なことですが、そういった心配は要らないようです。なぜなら、「想いを自由に表現しよう」なんて言われても、彼らの多くが「もともと『想い』なんて持っていない」という、根本的な問題を抱えているからです。
東京医科歯科大学の調査によると、最近「味覚障害」の子どもたちが急増しているそうです。「甘い」「苦い」などの味覚を認識できない子どもが30%にものぼるとのこと。「子どもが同じようなものばかりを食べている」ことが原因らしいのですが、なぜそうなるかというと、「親が子どもに『今日はどんなものを食べたいの?』と聞いてしまうから」だとか。子どもの側からすると「食べたことのないもの」はリクエストのしようがありませんので、いつも似たようなメニューのローテーションになる。子どもたちが「自由」に「好きな」ものを食べられるようになった結果、複雑な味を感知するセンサーが働かなくなってしまったのです。
「味覚」と「感受性」を一緒にしてはいけないのかもしれませんが、強制されることなく自由に好きなものに触れることのできる子どもたちは、興味外のものに触れる機会を逃し、得られるべき多様で有益な感受性を得られずに生きているのかも知れません。「想い」のバックグラウンドとなるもの……知識や体験、感じ取るセンサーの欠如。「表現力の育成」のためにアウトプット(出力)の質を向上させようと躍起になってはみたものの、子どもたちの「想い」の根源となるものをうまくインプット(入力)させられていない……。「自由」という魔法の言葉や、学校教育のこういった弱さも、子どもたちの「感受性障害」に拍車をかけてしまっているのです。
去年の春のことです。
「世界遺産候補『三重津海軍所』」を扱った劇を書いて欲しい」という突拍子もない依頼が来ました。「顧問も生徒も郷土の歴史のことをよく知らないので、資料をください。」と申し出たところ、DVD1枚と薄いパンフレットを頂きました。ですが1時間の芝居を創るには情報不足でした。図書館に行っても参考となる文献はありません。切り札であるはずのインターネット情報は、パンフレットと同じ。地元の歴史に詳しい方に聞いても、「あまり文献が残ってないんですよね」とのこと。「インプット」できるものが圧倒的に足りない状態で、県や地域の「三重津海軍所の世界遺産登録を目指す」熱心な方々を前に芝居を上演せねばならない。困りました。
「調べても情報がないのなら、現場に。三重津海軍所跡地に行ってみよう!」
生徒の一言がきっかけで、皆で自転車をこぎ、現地に赴きました。河川敷まで来ましたが、案内の看板などはありません。公園に自転車をとめ、スマホで位置を確認しました。
「もう少し下流だろ。」
「あの橋の下あたりが怪しい。」
建物の跡や石碑などがないかを、散々歩いて探しました。しかし、何もありません。日が沈み出したころ、一人の生徒がスマホで古地図らしきものを見ながら声を上げました。
「場所、わかった!」
「え、どこよ。」
「さっき自転車置いた公園。」
「……は?」
佐賀の未来を担うべく、佐賀藩の誇り高き有志たちによって建造された海軍訓練所は、石碑ひとつ残すことなく広場になっていたのです。「○○病予防の劇」や「○○防止の劇」などをいくつか書いてきた私も、さすがに行き詰まりました。そんなとき、生徒たちが口々につぶやいたのです。
「どうして壊したんだろう。」
「残す意味を感じなかったのかな。」
「それはないでしょ。日本で初めて実用的な蒸気船を造った海軍所だよ。」
「『葉隠れの精神』とか?派手に誇ることを好まない佐賀人の性格?」
「軍事的な建造物は、敗戦の際に壊されたんじゃない?」
「平和のためってこと?まさか。」
「てか……、壊されて悔しくなかったのかな。」
「誰が?」
「ここで生きてた人たち。」
この子たちにはもともと「佐賀への誇り」などはありませんでした。でも日本で最初に造られた実用型蒸気船「凌風丸」は現存せず、日本に誇るべき業績を有明海の泥にまみれながら積み上げてきた海軍所は、150年後の今、小さなジャングルジムになっている。そのことへの疑念、悔しさ、哀しさが、彼女たちの魂を揺さぶりました。「インプット」できるものはありません。ですが、未来のために積み上げてきたものが壊されてしまった佐賀藩士たちの「痛み」を想像し、彼ら勇士たちが想いを託したはずの「未来の佐賀人」としての使命を感じながら、今の自分たちにしか語れない「想い」をつくり上げていったのです。
「ものはなくても、想いはつながる。私たちが『演劇』で残せば、佐賀藩士たちの想いは未来に受け継がれる。」
その芝居は「やる気のない高校生たち」が、地域からの要望で強制的に「凌風丸の模型を造らされる」ところから始まります。高校生たちは暇つぶしに皆で自転車こいで海軍所跡に向かいます。でもたどり着いたところはちっぽけな公園……。
「三重津海軍所、どうして壊したんだろう……。」
誰かがつぶやき、過去と現在が交錯しながらストーリーは進んでいきます。佐賀に生きる高校生として、何を感じ、あのだだっ広い『遺産』に立って、何を『想った』か……。そのまま素直に表現しました。
こうして、佐賀東高校演劇部作『明日のきみへ』が完成。8月中旬の大阪、そして8月24日の佐賀城にて公演となりました。
「私、将来は佐賀で働いて、佐賀の劇団に入りたいな。」
「東京」やら「関西」やらを口にしていた生徒が、この劇を終えてからそっとつぶやきました。刷り込みも感化もありません。与えられなければきっと知るはずも、想像するはずもなかったこと。でもそこから生じた衝動を起点にして、大切な人生を考えたのです。
「積極的に想いを表現しなさい」とせき立てられ、戸惑えば「何でも、自由にいいんだよ」と微笑まれる。いよいよ切羽詰まったときには「コピペ」に頼ればい。そんなことを繰り返していくうちに、自分には「想い」がないことに気付く。でも、なんとなく生きていける。若者にとっては、そんな時代です。
一方演劇に携わる高校生たちは、昨今問わず、「表現すること」を自らに課さねばなりません。「どんな劇をしようか」と話し合ったところで、何かしらのバックグラウンドとなるものがどこにもない……。「ならば体験をモトに書こう」となると、「いじめ」や「SNSでのトラブル」などに行き着く。気合いを入れて稽古し、演劇祭に出してみると、他校も同じような舞台を上演していた……。そんなことが多々あります。ですが、「芝居作り」なんて特異な体験をしない限りは、彼女たちは「スマホばかりを見ていた自分の横顔と真剣に向き合う」なんてことはなかったはずで、「人に見せる芝居」としての価値はともかく、その芝居を通じて自身が多くの何かを得ることになるのです。
高校演劇を「枠にはめて創ったもの」「自由のないもの」だと卑下してしまう人もいます。そう言われても仕方のない部分もあります。でも、そんなどこにでもありそうな芝居ひとつひとつは、数少ない「インプット」にしがみつきながら、「それでも自分の『想い』を表現しなければ!」と必死にもがいている、闘いの結晶でもあるのです。しがみついて、道に迷って、時には興味外からの強引な要望に応えながら、でもそうやって世界を広げていけば、もっと人生を楽しめる人間になれるかもしれません。結果、単なる自己満足になるでしょう。でも、人間が自己満足を否定したら、「じゃあ何のために生きてるの?」ということになってしまうと思うんです。彼女たちが「周囲を楽しませること」に満足を見出せるようになってきたら、世界もほんの少しだけ幸せになると思います。
授業が終わると、いつもの日常が待っています。
「先生、次の劇、どんなのにします?」
「どんなのでもいいよ。お前らはどんな劇がしたいの?」
稽古場で寝転びながら私は、結局はこんな大人の決まり文句を吐き、部員たちは笑いながらこう返します。
「じゃあ、先生の想ったことを『自由に』書いてください。」
2014年は、「与えられた」年でした。「生かされた」年でした。
でも、部員も私も、いつも以上に「生きた」年でした。
今年も幸せな日々を生きていこうと思います。
佐賀県高文連演劇専門部委員長・佐賀東高校演劇部顧問
彌冨公成