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2020.07.11

コラム|コロナ後の演劇を夢想してみる(福岡)

 2020年6月末にこれを記している。
 「コロナ禍における九州の演劇シーンについて何か書いてくれ」との依頼でこれを書いているんだけれど、何せ事情が1週間単位で変わっているので、あくまでもこの文章は2020年6月末という視点から書いているというのを冒頭、明確にしつつ書き始めたいと思う。
 またこの文章は、わたくし、泊篤志個人が考えていることであって、決して私が「九州を代表して書いている」訳ではないというのも重々承知のうえこれを読み進めていただきたい。
 前置きが長くなったが、このコロナ禍騒動の日本国内における大まかな流れはこうであろう。

2020年2月末 演劇等、舞台芸術の自粛が始まる。
2020年3月 公演の自粛、延期、中止が相次ぐ。
感染予防対策をしっかりやったうえで上演するという団体もあったが、集客は芳しくなく、上演を「強行だ」として一部で非難する連絡もあったと聞く。
2020年4月7日 緊急事態宣言を発令
2020年5月6日 緊急事態宣言が延長
2020年5月14日 緊急事態宣言、福岡県を含む39県で解除
2020年5月25日 緊急事態宣言、全面解除
2020年5月下旬 北九州市で感染確認が増加、第二波か?とも言われる
2020年6月19日 北九州市、営業自粛要請を解除


 今現在まで、まる4か月間、通常の演劇上演はほぼ無かった。
 この間、Zoomを使った演劇もやられたし、過去上演のyoutubeでの無料配信、有料配信などもあった。個人的にはオンラインでの演劇にはほぼ触手が動かなかった。もちろん見たりはしたし、面白かったりもしたんだけど、何というか…、それはまあやりたい人がやればいいし、そこから新しい演劇の可能性が生まれてきたら面白いよね、うん、自分じゃそんな手を伸ばしたりはしないけど応援してる!…くらいの距離間だった。4月いっぱいまでは。じゃあ4月いっぱい、自分が何をしていたかというと…、週一で山に登った、くらいなのだ。仕事と言えば、次々と公演が中止や延期になり、その中止や延期の打ち合わせばかりしていた。これでは創作意欲など湧く訳がない。次の公演計画を立てようにもまた中止になるかも知れないのだ。だからという訳でもないけれど、週に一度、山に登っていた。夜、パソコンに向かってはコロナウイルスのことばかり調べていた。このウイルスがどこから来たのか、どうしてこんなにやっかいなのか、他の凶悪なウイルスと何が違うのか、マスクは本当に重要なのか、そんなことばかり調べていた。100年に一度のパンデミックに立ち会っているという高揚感も少なからずあったんだと思う。で分かったことは、結局のところ「できるだけ人と接触しないこと」が最大の防御であるという人類史上すべての感染症と同じ対策しかない、ということだった。


北九州劇団代表者会議メンバーによるオンライン飲み会(4月中旬)

 しかし、そんな引きこもり状態から抜け出すきっかけがやってくる。5月のゴールデンウィーク明けくらいから、自分がローカルディレクターとして関わっている北九州芸術劇場が「今だからできることを」とTwitterやYoutubeでの映像の配信を積極的にやり始めたのだ。それまで自分も「せっかく時間があるんだし、映像の編集とかやれるようになったらいいよね」とぼんやり思っていたので(高校生の時の将来の夢は「映画監督」だったし!)、この映像配信に業務として積極的に関わるようになった。ここでようやく薄っすら創作意欲みたいなものが芽生えてきて、今現在、飛ぶ劇場の劇団員を集めて短い映像作品を作っている。撮影前に集まり、稽古をした経験は何とも甘美な時間となった。誰もが「稽古楽しい」「演劇楽しい」と思えた瞬間だったと思う。4か月間の創作自粛も悪くないなと思えた。コロナ禍で自分としては「何もしてない」つもりだったけれど、山には登ったし、映像を創り始めたし、コロナウイルスにも詳しくなった。世の演劇人もだいたいそんなもんなんじゃないかと思う。九州の演劇人だけじゃなく、東京の人だって他の地域に住む人だって。例えば料理の腕があがったり、本を読んだり、映画を見たり、この自粛期間にぼーっと過ごした人だって、コロナ後の世界をあれこれ想像したんじゃないかと思う。意外とZoomを使った打合せやミーティングが有効だったって知ると、これからのリアルに対面しての打合せってそんなに必要じゃないかも?とか思えたり、オンラインで全国の人が繋がってしまうことが幾つかあったりしたので、これ、例えば「九州の演劇」みたいな地域の括りが重要じゃなくなってくるかも?と感じたり、生活様式がずいぶんと変わって来るのではないか、そんなことをそれぞれが思考したんじゃないかと思う。


映像作品を撮影中の飛ぶ劇場メンバー(6月中旬)

 さて、そこでやっと演劇に話が戻って来る。今現在、7月からコンサートや演劇が観客数を半分くらいにして再開しようとしている。再開しようとしている中、東京では再び感染者数がじわりと増加しているので、もしかしたら東京は再び「自粛」となるのかも知れないし、その影響は全国各地に広がる恐れもある。まだしばらくは「もし」の場合を想定して公演の計画を立て、予算を渋めに設定しなければならない状態が続きそうだ。このことが続けば舞台芸術全般(スタッフワークも含むすべて)における萎縮が懸念されるし、現れるはずだった才能が出てこないという損失も大きいだろう。
 そして今後、第二波や次の別のウイルスの登場が噂される中、例えばオンラインでの演劇配信はきっと増えてくるだろうなと想像する。これまでは目の前にたくさんのお客さんがいて、劇場でのお互いの呼吸というものが舞台のsomething wonderfulを作り出していた…というのが「生の魅力」だった。きっと今後は「生」の重要性が高まるとともに、オンラインでの配信も並行して成長していくんじゃないかと想像する。またいつ「自粛」が始まるか分からないので、その時に向けた自衛策として。そしてその自衛策がまた別の「演劇」の姿を見せてくれるのかも知れない、とも夢想している。

 先日、知り合いのミュージシャンのライブを配信で見ることがあった。一緒に舞台を作ったことはあるが、彼らのライブを見たことはなく、配信でなら気軽に覗けるかな?と覗いたのだった。ライブハウスを借りて無観客での有料配信だったんだけど、これがなかなか良かったのだ。カメラや音響やスタッフワークが素晴らしかったのもあると思うけれど、見応えがあったし、次は是非、生の演奏を見てみたいと本当に思えたのだ。これは配信ならではの好例だと思う。ライブハウスに足を運ぶのはちょっとハードルが高い、って人がこれをきっかけに実際ライブを見に行くかも知れないのだ。もしくはその日時は行けないけれど、でも配信があるなら、せめて配信で見ようか、とか。今後は実際の「生の舞台」と「ネット配信」が同時に行われた方がもしもの時に大赤字を抱えなくてよくなるかも知れないし、案外、配信での収益の方が好調になるかも知れない。
 いや、でも、自分は生の舞台が好きなんですよ?演劇は配信じゃあ魅力半減だと思っていますよ。でも、そのライブの配信がね、良かったんですよ。これ演劇にも置き換えられるんだなぁって思っちゃったんですよ。

 先のことは分からない。10年後の世界のことは分からない。ウイルスと天変地異と世界戦争が同時に起きて演劇どころじゃないかも知れない。いやな時代だなぁと思うけれど、そんな不確かな世界をしたたかに生きて行く、するりと姿を変えられる柔軟さを持ってなきゃなぁとも考えている。

泊篤志(飛ぶ劇場)