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2012.07.30

コラム|みやざきの演劇、「むかしといま」について、ちょっとかじってみました。

例年よりも遅い梅雨明けとなった2012年は節電と猛暑と豪雨という過酷な夏を連れてきました。
どうか皆さまお体ご自愛下さい。
猛暑のなか、みやざきより、暑中御見舞い申し上げます。

さてわたくし、この度この月1コラムのお話をいただいた際に考えました。
九州地域演劇協議会や九州演劇人サミットなど何度となく声をかけていただき、
宮崎代表と言っても過言ではない状況が幾度となくあったな、と。
貴重な機会を与えて下さっているのに、私はみやざきの演劇についてどれくらい知っていたかしら?と。
そこで、今回のこのコラムではみやざきの演劇の「むかしといま」~演劇協会の基礎知識~について、
お勉強したてほやほやの頭でお話したいと思います。

2012年7月現在の宮崎県演劇協会の加盟団体は16団体。
団体設立は47年という大師匠クラスから旗揚げして4年という若手まで、
所在地の北は日向市から南は日南市まで、演劇の傾向もバラエティにとんでいます。
公演場所も公共ホールだけに留まらず、ギャラリーやライブハウス、喫茶店など、
いろんな場所で気軽に演劇に親しめるような試みも増えています。

ただ、少子高齢化の波は当然この演劇協会にも押し寄せていて、
「新しい団体が入らない」「役者が役職に就いたため稽古に参加し辛い」「体力的にきつい」
といった理由により、定期的な公演を行える団体(=活発な団体)となると半減してしまいます。
そもそも演劇協会自体の設立は1988年(平成元年)に県内15劇団での発足で、
現協会の半数以上の団体が設立20周年を越えた団体ですので高齢化も当然なわけで、
かれこれ24年、ほんの少しの増減を繰り返しながらいまに至っているのです。
しかし、県立芸術劇場が「劇団をつくろう」という事業を4年前から行っていることや、
県内の若手役者だけのユニット公演など新たな動きも近年見られるようになり、
協会云々ではなく県内の演劇人口だけをとって見ると、
高齢化は打破出来るんではないかと思っています。

そんないまのみやざきよりもずっとむかしのこと。
いまの大師匠たちがいまの私たちよりも血気盛んでアツかったころ。
1958年(昭和33年)に「宮崎県演劇連盟」という、いまの演劇協会の前身を設立していました。
加盟団体は5団体。
高校演劇のOBたちが立ち上げた劇団、地元青年団から派生した劇団、大学生劇団。
所在地の北は延岡市から南は宮崎市まで。公演場所は主に公共ホール。
稽古場がなく経済的にも乏しい。
ちっともいまと変わらない「演劇を愛する人たちが集うところ」を作っていたのです。
また、その同年に県の助成支援を得て「宮崎県演劇祭」が(以降6年間)開催されたこと。
そしてもちろん、合同公演も行っていたこと。
さらには、戦後からいまに至るまで、みやざきには約70もの劇団が誕生していたことなどを教えてもらいました。
その後演劇連盟は残念ながら、劇団の統合や演劇祭の終了によりフェードアウトしてしまうのですが、
30年の時を経て演劇協会として再び発足するわけです。

半世紀前のみやざきの演劇人もいまの演劇人も時代こそ違うものの、
「この、宮崎という土地で演劇をする」ということに関して言えば、志は同じである。
ということを知り、とても心強く、また嬉しく感じました。
不況だ、少子高齢化だと言われる現在において、
もう24年も演劇協会の加盟団体がさほど変わらないことを考えれば、
演劇人の人口は減るどころか、むしろ増えていることになりますからね。
2011年みやざ演劇祭の写真
先人たちの基盤はたくさんの人たちの手から手へ脈々と受け継がれ、いまの私たちの手に渡り、そしてより多くの若手演劇人の手に託すこと。
「こい(これ)がみやざきの演劇人のむかしで、いまやっとよ。」
と、伝える責任があるのを知り、感謝しつつも、ちょっと背筋が伸びました。

文:神水流じん子(宮崎県演劇協会 副会長 )

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