2021.02.08
隔年開催しております九州戯曲賞は、本年の開催を予定しておりましたが、昨今の状況に鑑み延期することとなりましたのでお知らせいたします。
本賞では、最終選考会の終了後に審査員と候補者による表彰式、及び懇親会を開催しておりますが、この懇親会では審査員から候補者へ講評が直接伝えられるとともに、互いの戯曲を読みあった候補者同士が交流にとどまらず、才能を高め合う場となっております。
このような機会は、最終候補に残った作家の今後の活動に資するものであり、ひいては九州の演劇シーンの活性化につながるものと考え、本賞が重視しているところです。
大賞作品1作品を選考する過程は、対人接触なしに行うことが可能ですが、昨今のコロナ禍により、隔意なく意見交換できる場を作ることが難しく本賞の目的を十分に達成することが出来ないと考え、開催延期とさせていただきたいと思います。
関係各位のご理解を頂けますようお願いいたします。
本賞が始まりました2009年以降、日本の劇戯曲賞(2010年)、せんだい短編戯曲賞(2012年)、北海道戯曲賞(2014年)などの戯曲賞がはじまり、九州で活動する劇作家が挑戦できる場が増えております。また、これらの賞で九州の劇作家が受賞あるいは最終候補に残るなど活躍しており、九州の劇作家にとって戯曲賞に応募するということが選択肢となってきています。
今後、本賞のあり方については、このような国内の環境の変化も踏まえ検討してまいります。
2021.01.24
熊本市を中心に活動をしております、德冨敬隆と申します。大学入学を機に始めた演劇ですが、DOGANGという演劇団体を立ち上げ、今では熊本演劇人協議会の会長を務めることになりました。最近では演劇イベント「DENGEKI」を通じて、県外の方々とも知り合い、交流をもっています。そんなことになっているなんて、野球部だった高校時代の僕に言っても絶対信じないでしょうね。
「DENGEKI」が開催された会場、早川倉庫
さて、世界は今、新しい感染症、所謂新型コロナに翻弄されているわけですが、熊本演劇界へも多分に漏れず影響は大きく、すっかり様変わりしました。2020年に入り、公演は続々と中止となり、例年なら全てを観るのが難しいくらい毎週どこかで公演があっている9~12月の演劇シーズンもほとんどありませんでした。かくいう私の劇団も2020年3月に予定していた公演を中止しました。演劇を始めて10数年、毎年何かしらの舞台に立っていたのですが、初めて1度も舞台に立たずに1年が終わりました。
「ステイホーム」が推奨されて、家にいることが増え、家で観られる動画が重宝されています。そんな状況で演劇はどうするべきか。動画では映画やドラマに敵わないし、それらは家にいても観られるわけです。比べて演劇はわざわざ会場まで行かないと観れないし、台詞を噛んでも飛ばしてもやり直しのできない一発勝負ですし、予想外の事故があるかもしれない。あれ?別に今の状況じゃなく平時でも動画の方が便利ですね。なのになぜ演劇なのか。演劇人はなぜ舞台に立つのか、舞台に関わるとはどういうことかを見つめなおす機会でもあるのかもしれません。私も、時折映像作品の作成に関わることがありますが、「やっぱり舞台がいいなぁ」と思うことが多いわけです。私の場合は、やはり「生」の魅力に憑りつかれているわけです。
熊本市内 下通アーケード
しかし、熊本の演劇活動がすべて消えたわけではありません。熊本の老舗劇団の市民舞台さんは、元々予定していた公演をリーディング公演に変更し、尚且つ役者をボックスで囲むことで役者・観客ともに感染リスクを減らす工夫をされていました。くまもと演タメ学園生徒会さんはYouTubeを活用していろいろな企画を配信されています。その他の劇団も、感染が終息することを期待して2021年に公演を計画しているところがたくさんあります。僕のところもその一つです。熊本の演劇界は決して光を失ったわけではないのです。
研究が進んだことで最近ようやく「このような対策を取れば感染リスクが抑えられる」というのがわかってきました。終息を待つより、どうすればこの状況で演劇公演をやれるのかを模索していくことも必要でしょう。また、ワクチンの開発・接種も進んできています。終息にはもう少し時間がかかるでしょうが、そのうち何の制約も憂いもなく公演ができる日がきっと来ます。その日まで、力を蓄え準備をしておくのもいいかもしれません。脚本を書き貯めたり、演技の幅を広げたり、新しい演出方法を考えたり、やれることはたくさんあります。
ちなみに、スペイン風邪が流行った頃の映像を見ると、人々はマスクを量産し、「人と人との接触は避けましょう」と、ハグや握手をせずに挨拶するように啓蒙しています。100年前と今もさほど変わりませんね。さらにいうと、その後世界恐慌が起きています。要因は違えど、現在も経済は圧迫されており、芸術分野は必要ないと言われることも少なくありません。芸術が無くても生きてはいけます。でも、芸術がなければ豊かな人生にはなりません。人は生きるだけではなく、芸術を楽しめるから人なのです。熊本が、九州が、日本中が、世界中が芸術分野を大事にしてくれることを願います。
德冨敬隆(熊本演劇人協議会 会長、劇団DO GANG)
2020.10.08
「最適化」とか「アップデート」という言葉が苦手である。ほとんど憎んでいると言っていいぐらいだ。
スマートフォンは使っていないのだが、それでもパソコンには定期的に「アップデートしてください」という通知がやってくる。こんなことを言うとおじさんの戯言のようで笑われてしまうかもしれないが、そんな通知が来るたび、子どもの頃にSF小説で読んだ、人間が機械に使われている恐ろしい未来の姿の中に自分がいるようで、背筋が寒くなる。
今年、「新型コロナウイルス」という聞きなれない言葉を毎日耳にするようになり、そうしたら今度はその言葉を追いかけるように、「リモート」だの「テレワーク」だの「配信」だのという言葉が巷にあふれはじめた。
同じ頃、演劇という心と身体の濃密なふれあいの現場では、公演はおろか稽古すらもできない状況が続いた。そうして、もちろんこの国だけでなく、世界中のあちこちで様々な手探りがはじまった。
だがやはり、わたしにとっては、「演劇」と、「リモート」だの「配信」だのとは、うまくつながらないままだ。そもそもこの身体がそれをうまく呑み込めない。この状況への「最適化」も「アップデート」も身体が拒絶しているのだ。
立ち止まらざるを得ないことは仕方ない。むしろ立ち止まることこそが芸術の本質であるとも思っている。ならば、この立ち止まるという時間をしっかり味わうこと、そして、そこからゆっくりと少しづつ足を踏み出すことを考えたい。
稽古や公演だけがわたしにとっての演劇ではないし、演劇だけが人生のすべてでもない。「新しい生活様式」なんてものとは関係なく、この機会にただただ人間の、そして自然の根源的なものを見つめ、考えたい。
そうしてわたしたちは、たまりにたまった稽古場のゴミを片づけ、プランターに花を植え、いろんな人たちの声に、言葉に耳を傾ける。そんなことをこの数ヶ月は行ってきた。
「2020/俳優の現在地」は、主に劇団に所属し、地域を拠点に活動をしている俳優たち20名に電話インタビューを行うというわたし個人の企画である。
一方「ゆるドラ!」は、毎年5月に行ってきたみまた演劇フェスティバル「まちドラ!」が中止になったことを受け、その状況からのゆるやかな回復を目指してわたしたち劇団こふく劇場と三股町立文化会館が企画したもので、7月に小中学校での上演作品「キツネのしあわせ図書館」と、30周年を迎えた劇団のこれまでの作品の音楽に焦点をあてたライブ「音楽、とか2020」、8月には長崎から劇団ヒロシ軍を迎えての「カチカチ山」、そして9月には町民参加の舞台「ヨムドラ!傑作選」と、これまでの三股町での活動を凝縮した作品を、感染症対策を行った上で上演した。またこの企画では、観客のみなさんが支払ったチケット代金を、同額の三股町商工会のオリジナル商品券に交換するという企画も行った。わたしたち劇団や会館だけでなく、地域の商業者の支援も同時に行うというもので、もちろんこうしたことができるのは、三股町からの篤い支援があるからにほかならない。
ゆるドラ!その3 劇団ヒロシ軍「カチカチ山」
ゆるドラ!その4 「ヨムドラ!傑作選」
現在2020年10月。事態は好転したわけではない。「アップデート」に長けた賢い人たちはやたらと「新しい」を喧伝しているが、わたしはやはりこの期間に根源へと深く潜っていきたいと思うのである。
永山智行(劇団こふく劇場)
2020.07.11
2020年6月末にこれを記している。
「コロナ禍における九州の演劇シーンについて何か書いてくれ」との依頼でこれを書いているんだけれど、何せ事情が1週間単位で変わっているので、あくまでもこの文章は2020年6月末という視点から書いているというのを冒頭、明確にしつつ書き始めたいと思う。
またこの文章は、わたくし、泊篤志個人が考えていることであって、決して私が「九州を代表して書いている」訳ではないというのも重々承知のうえこれを読み進めていただきたい。
前置きが長くなったが、このコロナ禍騒動の日本国内における大まかな流れはこうであろう。
2020年2月末 |
演劇等、舞台芸術の自粛が始まる。 |
2020年3月 |
公演の自粛、延期、中止が相次ぐ。 |
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感染予防対策をしっかりやったうえで上演するという団体もあったが、集客は芳しくなく、上演を「強行だ」として一部で非難する連絡もあったと聞く。 |
2020年4月7日 |
緊急事態宣言を発令 |
2020年5月6日 |
緊急事態宣言が延長 |
2020年5月14日 |
緊急事態宣言、福岡県を含む39県で解除 |
2020年5月25日 |
緊急事態宣言、全面解除 |
2020年5月下旬 |
北九州市で感染確認が増加、第二波か?とも言われる |
2020年6月19日 |
北九州市、営業自粛要請を解除 |
今現在まで、まる4か月間、通常の演劇上演はほぼ無かった。
この間、Zoomを使った演劇もやられたし、過去上演のyoutubeでの無料配信、有料配信などもあった。個人的にはオンラインでの演劇にはほぼ触手が動かなかった。もちろん見たりはしたし、面白かったりもしたんだけど、何というか…、それはまあやりたい人がやればいいし、そこから新しい演劇の可能性が生まれてきたら面白いよね、うん、自分じゃそんな手を伸ばしたりはしないけど応援してる!…くらいの距離間だった。4月いっぱいまでは。じゃあ4月いっぱい、自分が何をしていたかというと…、週一で山に登った、くらいなのだ。仕事と言えば、次々と公演が中止や延期になり、その中止や延期の打ち合わせばかりしていた。これでは創作意欲など湧く訳がない。次の公演計画を立てようにもまた中止になるかも知れないのだ。だからという訳でもないけれど、週に一度、山に登っていた。夜、パソコンに向かってはコロナウイルスのことばかり調べていた。このウイルスがどこから来たのか、どうしてこんなにやっかいなのか、他の凶悪なウイルスと何が違うのか、マスクは本当に重要なのか、そんなことばかり調べていた。100年に一度のパンデミックに立ち会っているという高揚感も少なからずあったんだと思う。で分かったことは、結局のところ「できるだけ人と接触しないこと」が最大の防御であるという人類史上すべての感染症と同じ対策しかない、ということだった。
北九州劇団代表者会議メンバーによるオンライン飲み会(4月中旬)
しかし、そんな引きこもり状態から抜け出すきっかけがやってくる。5月のゴールデンウィーク明けくらいから、自分がローカルディレクターとして関わっている北九州芸術劇場が「今だからできることを」とTwitterやYoutubeでの映像の配信を積極的にやり始めたのだ。それまで自分も「せっかく時間があるんだし、映像の編集とかやれるようになったらいいよね」とぼんやり思っていたので(高校生の時の将来の夢は「映画監督」だったし!)、この映像配信に業務として積極的に関わるようになった。ここでようやく薄っすら創作意欲みたいなものが芽生えてきて、今現在、飛ぶ劇場の劇団員を集めて短い映像作品を作っている。撮影前に集まり、稽古をした経験は何とも甘美な時間となった。誰もが「稽古楽しい」「演劇楽しい」と思えた瞬間だったと思う。4か月間の創作自粛も悪くないなと思えた。コロナ禍で自分としては「何もしてない」つもりだったけれど、山には登ったし、映像を創り始めたし、コロナウイルスにも詳しくなった。世の演劇人もだいたいそんなもんなんじゃないかと思う。九州の演劇人だけじゃなく、東京の人だって他の地域に住む人だって。例えば料理の腕があがったり、本を読んだり、映画を見たり、この自粛期間にぼーっと過ごした人だって、コロナ後の世界をあれこれ想像したんじゃないかと思う。意外とZoomを使った打合せやミーティングが有効だったって知ると、これからのリアルに対面しての打合せってそんなに必要じゃないかも?とか思えたり、オンラインで全国の人が繋がってしまうことが幾つかあったりしたので、これ、例えば「九州の演劇」みたいな地域の括りが重要じゃなくなってくるかも?と感じたり、生活様式がずいぶんと変わって来るのではないか、そんなことをそれぞれが思考したんじゃないかと思う。
映像作品を撮影中の飛ぶ劇場メンバー(6月中旬)
さて、そこでやっと演劇に話が戻って来る。今現在、7月からコンサートや演劇が観客数を半分くらいにして再開しようとしている。再開しようとしている中、東京では再び感染者数がじわりと増加しているので、もしかしたら東京は再び「自粛」となるのかも知れないし、その影響は全国各地に広がる恐れもある。まだしばらくは「もし」の場合を想定して公演の計画を立て、予算を渋めに設定しなければならない状態が続きそうだ。このことが続けば舞台芸術全般(スタッフワークも含むすべて)における萎縮が懸念されるし、現れるはずだった才能が出てこないという損失も大きいだろう。
そして今後、第二波や次の別のウイルスの登場が噂される中、例えばオンラインでの演劇配信はきっと増えてくるだろうなと想像する。これまでは目の前にたくさんのお客さんがいて、劇場でのお互いの呼吸というものが舞台のsomething wonderfulを作り出していた…というのが「生の魅力」だった。きっと今後は「生」の重要性が高まるとともに、オンラインでの配信も並行して成長していくんじゃないかと想像する。またいつ「自粛」が始まるか分からないので、その時に向けた自衛策として。そしてその自衛策がまた別の「演劇」の姿を見せてくれるのかも知れない、とも夢想している。
先日、知り合いのミュージシャンのライブを配信で見ることがあった。一緒に舞台を作ったことはあるが、彼らのライブを見たことはなく、配信でなら気軽に覗けるかな?と覗いたのだった。ライブハウスを借りて無観客での有料配信だったんだけど、これがなかなか良かったのだ。カメラや音響やスタッフワークが素晴らしかったのもあると思うけれど、見応えがあったし、次は是非、生の演奏を見てみたいと本当に思えたのだ。これは配信ならではの好例だと思う。ライブハウスに足を運ぶのはちょっとハードルが高い、って人がこれをきっかけに実際ライブを見に行くかも知れないのだ。もしくはその日時は行けないけれど、でも配信があるなら、せめて配信で見ようか、とか。今後は実際の「生の舞台」と「ネット配信」が同時に行われた方がもしもの時に大赤字を抱えなくてよくなるかも知れないし、案外、配信での収益の方が好調になるかも知れない。
いや、でも、自分は生の舞台が好きなんですよ?演劇は配信じゃあ魅力半減だと思っていますよ。でも、そのライブの配信がね、良かったんですよ。これ演劇にも置き換えられるんだなぁって思っちゃったんですよ。
先のことは分からない。10年後の世界のことは分からない。ウイルスと天変地異と世界戦争が同時に起きて演劇どころじゃないかも知れない。いやな時代だなぁと思うけれど、そんな不確かな世界をしたたかに生きて行く、するりと姿を変えられる柔軟さを持ってなきゃなぁとも考えている。
泊篤志(飛ぶ劇場)
2020.05.08
長崎県を活動の拠点にしています「エヌケースリードリームプロ」代表の渡邉享介と申します。「長崎の演劇人の活動の場を増やすことが、長崎の芸術文化振興に貢献する」という指針で、様々な演劇事業を行っています。
「諫早物語~伊佐早戦国プライド男祭~」演劇で伝える諫早の歴史(諫早市ビタミンプロジェクト)
「仕事=社会貢献」と考えるとき「芸術(演劇)」は、とても重要な仕事として成立するはずですが、地方では難しく感じます。全国的に有名な演劇人がいて、そして、地方の演劇人もいて、それぞれが仕事として成立して当然だと思うのですが、そうなってはいません。
この矛盾は何なのか?
それは、供給する「価値」がわかりにくいからだと思います。
●演劇の価値とは?
「食べ物を買うと腹が満たされる」「病院に行けば病気が治る」などといった〈わかりやすい価値〉が、芸術(演劇)においてははありません。明確に「何が満たされるのか?」が、わかりにくいので「演劇鑑賞しなければ…」とは、ならないのだと思います。国は、芸術について【人々に感動や生きる喜びをもたらして人生を豊かにするものであると同時に、社会全体を活性化する上で大きな力となるもの】と、重要性を唱っています。とても大切なことですが、身近な価値としては捉えにくいです。実際、地方劇団の公演で「チケットが飛ぶように売れる」なんてことはほぼありません。どちらかと言うと「どうか、観に来てほしい…」と、知人に毎度お願いをしています。
これでは、国が言う「芸術に、極めて重要な役割がある」を、果たすことは出来ませんし「文化芸術の裾野の拡大」も、実現しないでしょう。
では、どうすればいいのか?
具体的な価値(付加価値)を自らが示し、地域住民に必要だと認めてもらうための行動が必要だと思います。
●価値の具体的な示し方
地方で演劇事業を成り立たせるための考え方の1つに「地域に寄り添う」という方法があります。例えば、私たちは「街づくり演劇」で、価値を示してきました。自分たちの街の歴史や、社会問題を啓発する演劇はとても共感を得られます。「街が発信したい情報を演劇で伝達する」ことは〈わかりやすい価値〉(付加価値)となり、必要とされます。
私たちは、それを、市民参加型の演劇として上演しています。それは、本来の価値「芸術の役割」を、より効果的に果たすことができる、演劇事業となるからです。私たちは、このスタイルで、行政との協働事業や、委託事業など、演劇を仕事として行う団体となりました(任意団体としては、あまり例がないと思います)。この他にも、考え方次第では、付加価値はいくらでも生み出すことができるはずです。演劇最強です。
●地方でのアートマネジメントの難しさ
地域に寄り添った演劇には、難しい問題もあります。
それは、マネジメントです。なぜなら、前例がないので、予算を提示するときに、地方の名前も知られていない作家や演出家、役者など、ギャランティーの積算根拠、それに「制作スタッフとは?」「舞台監督とは?それは必要なのか?」などの問いに、丁寧に返答し、納得させないといけません(特に相手が行政の場合)。地方で演劇を仕事にするとき、何が一番大変かというと、これかもしれません。関わる演劇人への報酬ですから、権利の問題なども含め、妥協は許されません。
ただ、これは最初だけで、前例ができると、その後はとてもスムーズです。
●まとめ
大変ではありますが、具体的な価値を誰かが示さないと、いつまでも演劇人の努力は報われないと思うのです。時に、その価値の示し方が「それは演劇ではない…」とか「作品のクオリティが下がる…」と、お叱りを受けることもありますが、どうかそこはご理解いただきたいと存じます。そうすることが「演劇の価値」を、より身近な物として示すこととなり、尚且つ、裾野を広げることになると思っていますし、いつしか演劇が、地方においても当前の仕事としての選択肢となることに繋がると信じています。
誤解してほしくないのは、演劇のこれまでのスタイルが間違っていると言っているのではありません。長崎の演劇人が、それぞれ頑張っているからこそ、私たち事業は成立するのです。演劇人の活動の場をつくることで、御返し出来たらと思っています。
「Meet The うないさん ~水のいのち~」汚水処理施設普及の為の啓発協働事業(長崎県との協働事業)
最後に…
新型コロナウィルスで、公演の中止や延期と大変だと思います。
一日も早くこの事態が終息し、平穏な演劇活動を取り戻せるよう心から願っております。
2020.01.17
佐賀東高校演劇部顧問の彌冨公成(いやどみこうせい)と申します。佐賀県高文連演劇専門部では委員長をさせて頂いております。今回で2度目の寄稿となります。
佐賀東高校『S・∀・G・A』(都城市総合文化ホールにて)
2019年7月、佐賀に「全国高等学校総合文化祭(2019さが総文)」がやってきました。昭和52年から毎年開催されてきた全国高総文祭。演劇、合唱、吹奏楽、器楽・管弦楽など、規定19部門の舞台発表と展示発表のほか、複数の協賛部門が全国各地から集まります。開催地は各都道府県持ち回りで、その47年に1度の奇跡がこの佐賀に廻ってきたのです。しかし各部門大会を開催するにあたってのキャパを満たすホール、会場そのものの数が先催県と比較して圧倒的に少なく、さらに運営にあたる高校生や大人の数が極端に足りないこの佐賀県での開催は容易ではありませんでした。「代わりがいない」「1人でも逃げれば壊れてしまう」という緊張と重圧。しかしそのような状況だったからこそ、誰もが「いま私は必要とされている」という確かな手応えを感じながら日々を過ごせたように思います。また県や市町村からのバックアップも大きく、それが大会の認知度アップにつながりました。佐賀県は2018年度に「肥前さが幕末維新博覧会」という大きなイベントを成功させていました。それまで何気なくそこにあった建造物や墓地がいきなり「観光地」となり、多くの佐賀県民が「歓迎する立場」にあることを自覚し、「ホスピタリティ」を意識するようになりました。「生活の場」の魅力的な変貌は県民に喜びや誇りをもたらし、その勢いが見事に「さが総文」へと受け継がれたのです。
そのような中、私は演劇部門の運営と総合開会式で上演する構成劇の脚本を担当することになりました。「2019さが総文」のテーマは、「創造の羽を広げ、蒼天へ舞え バルーンの如く」。蒼天(そうてん)は、視界を遮るような高い建物のない佐賀に相応しい言葉でもありますが、この何もない広大な大空をキャンバスだからこそ「想い」を自由に描くことができる……そんなイメージを持たせるものでもありました。そこから想起した構成劇のタイトルは『蒼天の翼』。佐賀を拠点として大活躍中の「ティーンズミュージカルSAGA」代表、栗原誠治さんに演出をお願いし、佐賀が誇る作曲家や舞台技術者の皆様、鳥栖商業高校ダンス部のお力を頂きながら、プロジェクションマッピングをも用いた壮大な作品を制作することになりました。大会事務局の吉永伸裕先生が高校生たちの要望・意見をまとめてくださり、それが『蒼天の翼』のシナリオの大きな柱となりました。
『蒼天の翼』に登場するのは、高校3年になる「落ちこぼれクラスの生徒たち」と「担任」。何事にもヤル気のないクラスメートたち。そんな彼女たちのために、おとなしい女子生徒「ミライ」が文化祭の劇の台本を書く……。物語はそこからスタートします。ミライが描く台本の世界は、登場人物たちがいきいきと冒険を繰り広げる『イキバ』。嫌々ながら稽古に参加していた生徒たちも、次第に教室の鬱々とした空間(『仮ノ世』)から抜け出すべく、『イキバ』へと想いを馳せるようになります。『仮ノ世』と『イキバ』を行ったり来たりしながら、生徒たちと担任教師は「私たちは何のために生きているのか」を模索していきます。
「私たちは何のために生きている?」
登場人物のひとりが答えます。
「しあわせになるために、いきている。」
少子化問題。年金問題。老老介護。ワーキングプア……。いまの高校生たちが大人として生きる数十年先の未来を思えば、とても不安になります。いまの大人たちが残してあげられるモノ、システム、コトバ……どれをとっても不確かで、霧が立ちこめ先が見えない状態です。ですが彼女たちには、何も残されていないからこそ自由に描けるキャンバス、「蒼天」が広がっているのです。
いまあなたが生きている場所は、『仮ノ世』か、それとも『イキバ』か。
こんな時代を高校生として生きている彼女たちのメッセージは、世代を超えて多くの観客の心に届いたようでした。
「生活の場」が「観光地」へと変化した2018年の維新博。その成功の瞬間は、佐賀の人々がまさに「いま私は必要とされている」という手応えを感じた瞬間、佐賀の日常が「生きる(活きる)場所(『イキバ』)」へと変貌した瞬間でもありました。佐賀には現存する歴史遺産が他県ほど多くありません。県が消滅するという苦い過去もありました。ですが「遺したい」「伝えたい」という県民の魂だけはしっかりと受け継がれてきたのです。そしてそれは「芝居」という形で蘇りました。例えば「佐賀の八賢人おもてなし隊」の方々は、幕末・維新の礎を築いた佐賀の偉人たちの歴史を訪れた大勢の観客にわかりやすく伝えておられ、様々な年齢層に親しまれています。モノやカタチがないところから「想い」や「魂」を蘇らせ、人々に「伝える」演劇の力。維新博のフィナーレでは、山口祥義知事が「『おもてなし隊』がいてくれたから、私たちはここまでやれたんだ!」と力強く語られました。「人」の力、「想い」の力、そして「演劇」の力の大きさを改めて感じ、胸が熱くなりました。さらに昨年は、県内の実力派俳優が顔をそろえた劇団SA-GAが旗揚げし、明治維新期の偉人たちを描いた歴史活劇『暁のかけら』が上演されました。そして私たち佐賀東高校演劇部も、佐賀の偉人たちや佐賀東高校の卒業生「はなわ」さんのことをモチーフにした『S・∀・G・A(エス・エー・ジー・エー)』を制作し、県内、そして福岡県、宮崎県にて上演しました。今後も九州内の中学、高校、公民館などで、人々の「想い」や「魂」を伝えるべく公演を重ねていく予定です。
佐賀東高校『S・∀・G・A』(都城市総合文化ホールにて)
また私ごとですが、このたび「文部科学大臣優秀教職員表彰」を頂きました。タイムレースや得点競技とは異なり、高校演劇は周囲の方々のお声やご支援があってこそ成り立つもので、今回はその積み重ねが受賞につながりました。お客さまや依頼をくださった方々のご支援、職場の皆様のご協力、何より生徒たちの熱意と頑張りなしには頂けないものでした。本当にありがとうございました。
2019年。「さが総文」に生きた一年。県民にとっての一生に1度の奇跡の年は、「『何もない』と思っていた佐賀」が「『伝えたい』佐賀」になり、『佐賀だからこそ』『私だからこそ』できることをワクワクしながら追い求め、幸せに「いきた」1年でした。そんな私たちが生きる佐賀は、「行ったことがない都道府県、全国ナンバー1」です。伸びしろが無限にあります。やりたいことがいくつもあります。そしてその先にあるのは、約半世紀後の「肥前さが幕末維新200周年」。部員たちとこれまで育んできた「想い」や「魂」を、50年後も100年後もきっと誰かがこの「演劇」で伝えてくれるように……。そんな未来を想い描きながら、これからもここで生き、つないでいこうと思います。
2019.11.05
私は演劇をどうすれば身近なものにできるかをずっと考えてきました。
高3で渡米し、世界の演劇事情を見てきました。日本では、特に地方では一般的には演劇が遠い存在だったので、それをなんとかしたいと思う気持ちが芽生えたのは、2008年夏に佐賀に戻ってきた時でした。
その当時は、佐賀では演劇というものが一般的に社会の中での存在感が低かったと言えます。しかし、そこに落胆するのではなく、まだ地域社会において幅広く認知されていないのであれば、アプローチを変えることで演劇文化を根付かせることができるのではないかという可能性も感じました。
まずは演劇ができることの可能性に気づいてもらう必要があると感じました。これまで接点がなく必要がないと思っている方々に、もしかしたら演劇を使って何かができるかもしれないと思ってもらうということです。実は、これは私が思いついたわけでもなく、昔から何か大事なテーマを伝える方法として演劇が使われてきました。
演劇が始まったと言われる古代ギリシャでは、劇場に集まり観劇することが市民の義務であり、そこでモラルなどを学んだと言われています。つまりは演劇の根本は市民の教育だったのです。
そんな原点に戻ってみる発想から、様々な人たちに演劇の可能性について私のアメリカでの経験を踏まえて話しをしてまわりました。少しずつ共感してくれる人たちが増えていき、人権・同和問題などについての演劇、歴史を伝える演劇(人物、出来事、物語)、防犯演劇(交通安全、詐欺防止)、インターネット情報モラル啓発劇などの実践につながりました。
佐賀に戻ってから様々な人たちの出会いの中から生まれた代表的なものが、私のライフワークの一つとなっている「幕末・維新 佐賀の八賢人おもてなし隊」です。
幕末・維新期に佐賀が輩出し、明治政府の礎を築いた賢人たちの史実をもとにした20分ほどのオリジナル寸劇を上演する活動です。当時、佐賀市観光協会にいらっしゃったプロデューサーの桜井篤さんとの出会いがあり、観光のプロと演劇のプロの二人で協力して2012年2月に立ち上げました。
佐賀城本丸歴史館で開催されている歴史寸劇定期公演(毎週日曜日、1日5回)を同年9月に開始し、今日まで欠かさず上演を続けています。この活動があることで、佐賀が「毎週演劇がある町」になり、ありがたいことに遠方から我々を目当てに佐賀に来てくださるお客様もいます。たまたま寸劇を見てくださる方々との出会いでは、演劇は意外に面白いと思ってくださることにつながっています。様々な団体や行政からの上演やイベントなどで寸劇の作成依頼なども受けています。佐賀の遺産である歴史をテーマとし、全て「Made in Saga」で演劇を活用した特徴的な事例だと言えます。
これまで約11年間、私は佐賀での活動を通じて地方における演劇の役割と可能性を模索してきました。多様化する現代社会において演劇が社会的に影響を与える可能性は大きいです。表現・コミュニケーション能力育成をするこができます。地域で人を育てることがきます。町に文化が定着します。つまりは、演劇は地域と人をイキイキさせることができるのです。
これから変わっていく地域社会においても、演劇が必要とされ続けられるよう、さらなる文化の定着と発展を目指して邁進してまいりたいと思います。
演劇家 青柳達也 活動略歴
高3で渡米し、アメリカの大学・大学院で演劇学を学び、演劇活動と教育に携わる。チェコ、ポーランド、コスタリカなどでの演劇活動を経て2008年帰国。佐賀大学において演劇教育の科目も持つ。
活動の詳細
2019.08.30
どうも。熊本にある劇団「Acting Unitシチミトウガラシ」代表で、くまもと演劇バトル”DENGEKI”実行委員の古田翔太郎です。
はじめまして、の方も多いかもしれません。私自身は高校~大学時代に活発な活動をしていましたが、就職して7年。就職してからはなかなか、というところです。
さて、地震から3年経った熊本。私なりに熊本の演劇を見ていて、地震を契機に変わってきたもの、変わらず続いているものがあるのではないかな、と感じている。
変わってきたもの。
新たな劇団やグループ・ユニットが誕生したり、今まで休止されていた団体が久々に公演をされたり、さらに賑やかになってきているように感じた。私自身あまり公演を観に行けていないため、詳しい様子をうかがい知ることはできていないが、公演の告知を聴く度に心がワクワクしている。
また、地震の後に被災地を中心とした演劇の団体設立やプロジェクトも行われている。仮設住宅等を訪問されたり、子どもたちが劇場で公演を行ったりする様子を見て、少しずつではあるが、演劇のもつ強みも感じることができた。
私が演劇に関わるようになってから、少しずつ劇団の公演が劇場での開催からアトリエやギャラリーなどで行われるようになっていたが、地震の後からその傾向は一層強くなってきたように感じる。最近では、Barやスナックで公演をされる団体もある。自前の劇場で同じ演目をロングラン公演するなど精力的に活動している団体もあるようだ。
さらに、熊本の演劇界を束ねる熊本演劇人協議会も昨年度、役員が変わり、会員の団体・個人も23組になった。特に、熊本演劇人協議会の会長は、私と同世代であるDO GANGの徳冨敬隆さんになられた。同世代が会を束ねる会長になられたことで、私も勝手にワクワクし、「がんばらなくては!」と感じている。
そして、変わらないもの。
先述の熊本演劇人協議会も役員こそ変わったが、今まで通り盛んに活動も行っている。6月29日(土)には「100人稽古!2019」と題し、協議会メンバーが講師となってストレッチや基礎練習、インプロや殺陣など様々な講座が開かれた。そして、終了後には、参加者が中心となり、毎年行っている懇親会も行った。劇団・個人や演劇に興味のある人が参加し、舞台の深い裏話や他愛もない話など、たいへん盛り上がった。
※「100人稽古!」の様子
熊本演劇人協議会は、こうやっていつでもワクワクすることをやっている。このあったかい雰囲気、ワクワク感が、長くたくさんでできる秘訣なのかもしれない。
それから、私も毎年関わっている「くまもと演劇バトル”DENGEKI”」。2012年に1回目をスタートさせ、翌年から全国各地の劇団に参加していただいている。過去には茨城県から参戦していただいた団体もあった。今年で8回目。今年は熊本、福岡、宮崎、鹿児島から10の団体が参戦している。
熊本地震を経てもなお、会場である早川倉庫や熱を持って参戦される団体のおかげで、毎年続けることができている。
今年の開催は9月22日(日)、23日(月・祝)。今年も盛り上がりそうでワクワクしている。
※「くまもと演劇バトル”DENGEKI”」昨年度の様子
演劇に関わりだしてから、様々な人のあたたかみに触れ、迷惑をかけ続けながら、たくさんの「ワクワク」に出会わせてもらった。時に申し訳ないこともしてしまったが、何とかやらせていただいているこの状況に感謝している。
地震を契機に変わってきたもの、変わらないものはあるが、私はどの話題をもってしても「ワクワク」を感じる。これが、私が演劇に関わり続けたいと思う由縁だろう。
この「ワクワク」をもって、これからも演劇に関わり続けたい。
そして最後に、公演やりたいなー。というか、やろう!
Acting Unitシチミトウガラシ 代表
くまもと演劇バトル”DENGEKI” 実行委員
古田 翔太郎