2016.03.27
長崎ドラマリーディングの会(NDR)たじまです。長崎生まれ演劇育ち、テーブルゲーム好きな人は大体友達です。最近のお気に入りはアルルの丘です。
私の生活圏内(浜の町からクルマで片道30?40分程度)で小劇場サイズの演劇公演が行われている場所について、私の知る範囲でお伝えします。公共ホールは除きます。
まずは長崎市内の宝町ポケットシアター。管理運営しているF’s Companyの作品はもちろん、県内外のさまざまな団体の公演が行われています。
(宝町ポケットシアター)
そこから徒歩圏内にあるギャラリーヘキサでも年に数回演劇公演が行われています。私はここでrawworksと塚プロの作品を堪能いたしました。
NDRは中央橋すぐ近くのbody2soulを使わせていただいております。ここは演劇のための場所ではなくライブハウスで、通常はジャズやロック系が中心です。そこから徒歩で行ける距離にあるワインバー田舎では、謎のモダン館プロデュースによる一人芝居オムニバス公演も行われました。
諫早では、独楽劇場。田上インターからほど近い私の家から、高速道路使えば30分くらいです。管理運営をしているエヌケースリードリームプロの作品はもちろん、劇団ヒロシ軍の公演も精力的に行われています。また、県内外の団体の公演も行われております。
(諫早 独楽劇場)
他にも知られざる「小劇場サイズの演劇が行われている場所」はあるのかもしれませんが、私の知るところでは概ね以上となります。参考になれば幸いです。
佐世保や島原などにも、きっと素敵な可能性を秘めた場所があるんだろうなと勝手にワクワクしております。ご存知の方はご一報を!
(長崎ドラマリーディングの会・たじま裕一)
2016.01.30
皆様、初めまして。佐賀の劇団、劇団熱輝球の高尾大樹と申します。どうも、以後お見知りおきを。
一昨年の十二月末のステージマロの閉館後、若手の僕らには絶望が漂いました。僕らの演劇は受け皿を失ったのです。安価に借りれる演劇に向いた箱、佐賀にはそんな場所が少ないのです。ステージマロは数少ない貴重な場所でした。そこが、閉館してしまったのです。結果、場所がないばっかりに、表現したいという熱だけが放射冷却されていく。佐賀県は正直に言って、環境的に演劇に向いた土地ではなく、佐賀県民において演劇とは、身近な娯楽ではありません。乗客も止まる駅も無く、電車は孤独に走っていく。それは誰に望まれたわけでもない電車のエゴだったのです。
そんな現状は、パキリと音を立てて打破されました。
昨年十月、「戦国武闘伝OZ」は、佐賀の若手役者を中心に公演されました。佐賀では珍しい大きな規模であるその公演は、確かに観客を熱狂させました。いや、観客だけでなく僕ら若手の演劇人を熱狂させました。若手の演劇人と言っても、佐賀の演劇界には若手がおりませんでした。四十以上の年齢がメインであり、二十代三十代の演劇人は少なかったのです。ここ二三年で、二十前半の演劇人が(そう言う僕も二年前に佐賀演劇に飛び込んだ二十二歳です)増えました。それでも、二ケタに満たぬぐらいでしょうか。それも学生という期限付きの演劇人。何人が佐賀に留まるかは分かりません。それも今は当然です。「演劇を本気で続けるならば東京に行かなきゃ」。それが常識なのですから。
ですが佐賀の演劇界は今、熱を帯びています。
もっと佐賀に観劇文化を根付かせよう。若手だけじゃなく、佐賀の演劇人は、皆そう考えています。
その熱を、火を絶やさぬように。この火が絶えなければ佐賀において「学校卒業後も演劇を続ける」ことは、そう珍しいことではなくなるでしょう。趣味ではなく、職業選択としての演劇。
ステージマロの閉館時の絶望は、今は遠く、ここには希望が満ちています。佐賀の演劇、ぜひ皆様もカンゲキ、しにきてください。
(劇団熱輝球・高尾大樹|佐賀)
写真は上から
有明海の夕日の写真|佐賀市上空からの写真|佐賀での稽古の様子
2015.11.30
熊本学生演劇連盟の馬渡と申します。熊本大学の4年生です。普段は劇団「市民舞台」で活動しております。
私は、熊本の学生の演劇へのかかわりについて、また一学生からみた熊本の演劇に関してお話いたします。
熊本に限らず学生が演劇をする場合、大きな選択肢は二つだと思います。一つは、大学演劇部に所属し活動する、もう一つは自力で劇団を探し、自分で入り活動する。普通は大学演劇部に入ろうとする学生が多いのでしょうが、熊本では全く演劇経験がないのに劇団に入る学生が結構います。その大きな理由は、熊本の大学演劇部は、現在熊本大学と東海大学阿蘇キャンパスの二つしかないからです。東海大学阿蘇キャンパスは地理的に離れており(東海大学熊本キャンパスとも行き来がないほどに)、熊本県内ほとんどの大学がある熊本市内となると、熊本大学にしか演劇部がありません。熊本市内から学生が集まるので、熊本大学演劇部には他大学の学生も所属しています。熊本大学演劇部は熊本演劇人協議会に加盟しており、部活と言うより演劇団体として認知されている側面が強いように思います。
この2つの演劇部を見れば熊本のいわゆる学生演劇というものは網羅できます。合わせて20人程度、劇団に所属している学生も含めれば30人強だと思います。しかし、学生は熊本にたくさんいて、その中で演劇活動をしている学生がこれだけしかいないのは少ないとぼんやり思っていました。そうしたら、演劇部の大先輩から、学生が所属するための演劇の団体を立ち上げたらいいんだよ!と言われました。部活のたびに熊本大学まで通うのは面倒だし、劇団にいくのはちょっと怖い、そう思っているうちに演劇しなくてもいいや、と思う学生がたくさんいるはずだ。
なるほどと思い、熊本大学の演劇部の学生たちと一緒に、「熊本学生演劇連盟」という学生のための演劇団体を立ち上げました。団体の目的は、「演劇をやりたい学生それぞれの周りに、演劇に参加できる環境をととのえること」。具体的には、各大学に活動している演劇部がある状態を目指しています。また、大学の垣根をこえた交流の場を作って演劇仲間を増やし、同時に劇団への架け橋にもなれればと思っています。とにかく、それぞれがやりたいように活動するための団体です。高校演劇経験者のツテなどをたどりながら、演劇に関わっている人、演劇に興味がありそうな人に声をかけていきました。
(合宿での一コマ)
熊本学生演劇連盟は、劇団ではありません。団体主催での公演は少なく、行うとしても有志を募っています。一度、4大学を回って新歓公演を行いました。有志で公演を行うメンバーを募り、各大学の学生に声をかけ、制作のお手伝いを頼みました。これは半分成功、半分失敗というところで、課外活動に熱心でない大学ではチラシ配りなどが難しく、アプローチの難しさを感じました。また、福岡学生演劇祭への出場の際、学生ユニットとして熊本学生演劇連盟の名前で出場しました。最近の連盟のおもな活動は、有志によるワークショップの企画と、情報交換です。最近では殺陣講座が週に一度行われており、プロの方を講師にお招きして、学生たちが殺陣を学んでいます。また、年に一度、合同合宿を行っています。この合宿はまだ2回しか行われていませんが、20人近くが参加し稽古を通じて交流をはかっています。今年度は劇団から社会人の演劇人をお招きし、合宿内でワークショップのようなものも行いました。この合宿で、しばらく途切れていた東海大学阿蘇キャンパスと熊本大学演劇部の交流が復活しました。
(合宿での一コマ)
課題はたくさんあります。まず、情報を発信する人、イベント・ワークショップなどに参加する人に団体内で偏りがあること。また、団体外部への情報発信ツールが現在ツイッターのみであること。そして、一番大きな課題が、連盟を維持しようと思う後輩が現れずに、団体の機能が縮小してしまうことです。
今のところは、この団体を自分の挑戦したいことや、情報交換に利用している学生がおり、ワークショップには毎回学生が必ず来ています。しばらく途切れていた2つの演劇部同士の交流が、合宿初回以来の1年半は頻繁に行われるようになりました。演劇部が、定期的な活動はまだ出来ていないものの、二つ立ち上がりました。また外部の方から、学生がたくさん集まっているところとして、学生への紹介の案内などが来るようにもなりました。少しずつ状況は変わっているのかも知れません。
(劇団「市民舞台」、熊本学生演劇連盟・馬渡直実)
2015.10.04
鹿児島を拠点に活動している、劇団鳴かず飛ばずの原田耕太郎です。
今、「変な劇団名」と思ったあなた!大丈夫、僕も思っています。
少しだけ、思い出話をします。僕が芝居を始めたのは15年前の15歳の時でした。そして高校卒業後、先輩の作った劇団に所属したのですが、当時の鹿児島は、劇団同士の横の繋がりが少なく、また、30代以上の劇団もほとんどない状態でした。するとどうなるかというと、「自分たちの芝居が一番面白い!」となります。比較対象がいないわけですから当然の結果です。さながら、先生のいない自習時間です。今にして思うと何だか残念な感じですが、逆に、先頭切ってノビノビと芝居ができる環境でした。
その当時、芝居の先輩がよく口にしていた言葉が「鹿児島で600名呼べるようになったら本物だ!」というものでした。
たしかに、当時の平均集客数は150~250名程度が多かったように記憶しています。
鹿児島の演劇の問題としてよく語られるのが、「観客の不在」です。観客のほとんどが、
団員の知り合いであり、手売りでチケットをさばいている状態でした。観客が不在ということはすなわち、演劇文化が全く根付いていないという状態です。
そんな井の中の蛙な僕たちでしたが、ここ10年の間に、鹿児島の演劇界もどんどん変化しています。
県外で活動していた芝居人が鹿児島に帰って劇団を立ち上げ、30代以上の芝居人が徐々に増えていったり、県外公演を行う劇団が出てきたり、演劇協議会が発足されたり。
劇団鳴かず飛ばずも、必死にあがき、5年前の公演で動員700名越えを達成できました。当時思っていた「本物」にはまだまだ程遠いですが。
演劇未開拓地の鹿児島で芝居を続けて思うことは、観客に育てられ、そして、一緒に育っているという感覚です。少しずつ「演劇が好き」「この劇団が好き」という方が増えていき、
ずっと芝居を見続けてくれている方などは、どこかの評論家よりも的確なダメ出しや感想をくれたりします。そうした観客の「芽」を育てて行けるかどうかも僕たちが芝居を鹿児島で続けていく大きな意義なのだと感じます。
そんな成長期にある鹿児島ですが、10月31日より「第30回国民文化祭かごしま2015」が開催されます。国体の文化団体版、らしいです。
その中で現代演劇の祭典も開催され、県外からの公募公演や招聘公演、鹿児島演劇協議会プロデュース公演や、市民参加型の公演などさまざまな公演が行われます。
国民文化祭には、初めて芝居するという方も大勢参加しています。今までどこに隠れていたんだ!と驚きを隠せないですが、やはり、鹿児島はまだまだ、種まきが足りないなと実感した次第です。自分が芝居を始めた頃、何もかもが新鮮で鮮烈でどんどん芝居にはまっていった様に、国民文化祭をきっかけに、芝居にはまって抜け出せなくなる人が増えることを願ってやみません。そうなるために必要なのは、そう、観客の目ですね。皆様、10月31日、11月1日は鹿児島へお越し下さい!
地方における演劇事情というのは、今更僕が語るまでもない話で、鹿児島が抱えている問題等もおそらくどの地域でも当てはまっているものだと思います。
もっと突っ込むと、結局のところ、地方演劇が抱える問題の解決策はただ一つ。
面白い芝居を作り続けること。これ以外に道はないと思っています。
「鹿児島の演劇は30年遅れている」と言われたことがあります。
そうか、30年か。30年前といえば1985年。僕の演劇人生のバイブルである、第三舞台の「朝日のような夕日をつれて‘85」が上演され、夢の遊民社がブイブイ言わせ、キャラメルボックスが旗揚げした年です。
なんだ、鹿児島の演劇は今が全盛期ということか!
劇団鳴かず飛ばず・原田耕太郎
2015.07.31
宮崎県演劇協会の黒木朋子です。
宮崎の演劇を言葉で表すならば、巻き込み、巻き込まれながら盛り上がっている。
という感じでしょうか。
宮崎の演劇を語るには外せない「こふく劇場」と、これも演劇を語るには外せない三股町立文化会館の、文化事業「まちドラ」は4年目で、チケット入手が困難なほど、盛り上がっています。九州各地から演出家や役者が作品を上演し、町民も作品に参加、町の至る所で演劇が行われるという、町中を巻き込んだ人気のイベントです。
また、企画を中心としたユニット「あんてな」は、東京を中心に活躍する本田誠人氏の作品を中心に、毎回プロデュース公演の形をとり、劇団の枠を越えて役者が参加しています。
こういったプロデュース公演も年々増え、宮崎はここ数年、毎月のように公演が催されるほど、活動が盛んになっています。
世代を越えた交流もあり、客演が多く見られます。
これは、都市部の演劇界ではあり得ないことだそうですが、劇団で公演を行う際、役者・スタッフの人数不足、キャストの年齢層の問題等から、他の劇団等に助っ人を頼まざる負えない事も原因なのかも知れません。
そんな切実な事情とはいえ、横のつながりが強く、いつのまにか巻き込まれながら、新しい作品に取り組める楽しさが宮崎にはあると感じます。
ただ、観客についても劇団員同士で観に行く現状は、どの地域も同じかも知れません。新しい観客も巻き込みたいところです。
昨年度は、そんな宮崎の演劇人をより強く結びつける年となりました。
宮崎市制90周年の関連事業として、宮崎市の会館主催で、8月9日~10日に『波の上の青い島』を上演しました。これは、宮崎県演劇協会の設立25周年記念公演でもあり「協会加盟劇団の役者による出演で、宮崎市を舞台に・・・」という事で、宮崎(日南)出身の中島淳彦さんに脚本・演出を依頼したもの。
なんと開催当日、台風の接近により県内の公共施設が行事を取り止めるなか、公演初日は、多少無理やりぎみに公演し、台風で来場できないお客様のためには、2日めのの夜公演を急遽追加して、計3回の公演を行いました。この3回目の公演は、半券を持ってくれば無料で入れるというおまけつき。制作期間も、台風のような状況でしたが、そこは各劇団のアイデアで何とか乗り切り、 結果的にお客様にも大変喜んでもらえる作品となりました。
こういった経験が強みとなり、今後は、観客をも巻き込みながら、更にの演劇は止まることなく盛り上がっていくのだろうと思うのです。
宮崎県演劇協会・黒木朋子
2015.07.13
7月12日に福岡アジア美術館 会議室にて、九州戯曲賞最終審査をおこない、
以下の通りの審査結果となりました。
■最終候補作品(5作品)
守田 慎之介(福岡県行橋市)『草、のびて、家。』
村山 優一郎(熊本県八代市)『あまえんぼう山頭火』
日下 渚(大分県大分市)『あなた、咲いた』
山下 晶(福岡県福岡市)『晴レタラ、見エル。』
河野 ミチユキ(熊本県熊本市)『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
■最終審査員
岩松了 中島かずき 横内謙介 岩崎正裕 前田司郎
■審査結果
大賞 河野 ミチユキ(熊本県熊本市)『チッタチッタの抜け殻を満たして、と僕ら』
最終審査員選評、最終審査審議過程については後日、当サイトにて公開予定です。
オイッヒュ!
長崎県を拠点に活動をしている劇団ヒロシ軍・座長の荒木宏志(27)です。
今の長崎の演劇事情を簡潔にドカンと箇条書きでお伝えしますね。
○長崎は10代後半~20代の役者が圧倒的に少ない(特に男!!!)
○長崎の若手劇団が無い(ヒロシ軍より下の劇団が出てこない)
○長崎は『高校生の頃は演劇部だったんですよ』と言う役者やめてる人が多い(何故、今、やらない?)
○長崎で本気で役者を目指してる人は福岡や大阪、東京とか都会へ行きがち(まぁ、気持ちわかるよ)
まぁ、てな訳で、どこの地方の演劇事情もこんな感じじゃないんですかね。
何でか知らないけども、本当に若い役者が少ないんですよね。特に男の子!
女の子は比較的、多いんですよ。だけど、男が少ない。いや、マジで。いや、何で?
この謎について、考えてみたけれど、答えなんて出てきやしない。良かったら、みんな教えてください。
あと長崎の若手劇団がいつまで経っても出てこない!!!
それは何故か?
やる気のある役者は長崎を出て、都会へ行きがちだからだ!!!
いや、別に良いんだよ。都会へ行って、もっと演劇を勉強したいとか、あの劇団に入りたいとかって目標があって、行く分には全然かまわんぜ。
だけどね「長崎では無理だから」って決めつけて、都会へ行く考え方なら改めてくれ!そんなことないんだから!
何も考えず都会へ行って、一人暮らしを始めて、演劇やりたいけど生活するためにバイト漬けの日々を送る人がほとんどじゃねぇか?
んで燃え尽きて、長崎へ帰ってきて
「あ、帰ってきたんだね!演劇やろうよ」と言っても
「いやぁ~もう、演劇はいいかなぁ・・・」ってなる人をけっこう見てきたんだ、俺。
長崎に残れば、都会行くより確実に多く舞台に立てると想うよ。
(長崎県諫早市にある独楽劇場)
だってね、実家暮らしと一人暮らしの差って、かなり大きいと想うんだ。
いきなり、一人暮らしを始めれば、生活に慣れるまで時間がかかるでしょ?
もしかしたら、生活していくのにいっぱいいっぱいで演劇活動どころじゃないかもしれんぜ。
それよりか実家暮らしのほうが(ちゃんと親にお金を渡し、ありがとうと言う)生活面で心配することはないんじゃなかろうか?
どっぷりと演劇活動に専念出来るんじゃなかろうか?
そんな俺は一人暮らしでも実家暮らしでもなく車中泊でございます。家に帰らないからね。
それに今ではSNSがあるから、Twitter、Facebook、ブログを始めて
公演やります!って告知するなり、演劇について熱く語ったり
県外の劇団とのやりとりもTwitterとか使えば、挨拶だって出来るし
自ずと県外の劇団たちにも、情報交換出来ると想うんだよね。
そうすれば、県外でやってる演劇の大会とかの情報を知れたり、他の劇団の公演の情報を知れたりするじゃん?
そんな感じで劇団ヒロシ軍も長崎を拠点にして、佐賀、福岡、熊本と行かせていただきました。
(※うちの県にも来てくれーって方、良かったら声かけてよ!フットワーク軽いから行くよ!)
(北九州で行われた演劇大会「劇トツ×20分」 舞台裏にて)
てなわけで、結論!
地元に残って、演劇活動すればフットワーク軽いよ、いや、マジで!
それに今、長崎で活動している劇団の数は本当に少ないよ?
(※ひとつひとつの劇団は本当に素晴らしい劇団です。ヒロシ軍より先輩劇団だから、おべっかを使ってる訳ではありません)
だからさ、今、あなたが本気で演劇をやりてぇんなら、場所なんて関係ないんだよ。
どこでだってやれんだよ。
今、長崎で劇団立ち上げたんなら、競争率低いから長崎一位になれるかもよ?
まぁ、荒い文章にはなってしまいましたが
とりあえず、つべこべ言わずに演劇やろうぜ。
劇団ヒロシ軍・荒木宏志